台風19号の記録 2019 秩父

①未だかつてない大きな台風 ②娘家族の被災・全壊 ③ボランティアさん ④さぁ壊すのそれともリホーム ⑤解体へ

④さぁ壊すのそれともリホーム とにかくきれいにして・・・

11月8日(金)
朝3時11分に目が覚め時計を見たら311(3時11分)。寝付けなくて起きだして薪ストーブをつけて、あれやこれや・・・。
この記録をつけていると人の輪のありがたさが見えてきて実に感謝だ。

現場へ砂堀。排水溝と浄化槽の確認ができた。浄化槽は生きているようだ。
11月9日(土)
文化センターへ未来塾での数学授業。午後、武蔵屋の「そば展」へ。
11月10日(日)
午前中は現場へ西の基礎外回りから土砂を一輪車で20杯、排出。

換気口3か所を開けることができた。業者さんが2tトラック4台の砂を搬出。
泥の中からゾーリンゲンのキッチンバサミが出てきた。

午後、そば展へ。
11月11日(月)
何をしたか覚えていない
11月12日(火)
玄関前までの道をユンボで泥押し。いい感じで勾配はできた。雨がたまらなければよいが。

左は台風直後の10月13日。右は11月12日。
11月13日(水)
ユンボで玄関前の道ならし。玄関前の土を少し掘ると流木のガラがいっぱい出てくる。浸水の時渦巻いて流木が集まったのだろう。
同じ地区で被災し浸水1.5mのOさんが来てゴミの片付け具合の様子伺い。Oさんは住んではいなかったので支援法による資金援助はないとのこと。ゴミを持って行けば無料で受け付けてくれると言うだけらしい。うちのゴミも以前片付かないが、浸水50センチのUさんの言うことには明日回収に来るとのこと。
同じく全壊のTさんが来て、午後には水道をつなげ直すので断水しますとのこと。再生活に向けて準備を始めたのかは解らない。
泥の中から婿さんの名前の入った砥石が出てきた。砂を6袋持ってきた。
11月14日(木)
朝は6時起床。4時ごろに一度、猫のチョコに起こされる。
水没しても使えるものというフレーズが頭をよぎる。あのクーラーの室外機は使えたのではないか。トイレもきれいに外せば使えたのではないか。いずれも外してしまった。電気製品はモーターが不具合を起こし火災につながる恐れありらしいが・・・。

結局、廃棄物の山を目の前に、傷の少ない室外機の一台だけとっておくことにした。
ユンボに乗って道ならしをしていると孫たちが来た。今日は県民の日で休み。ユンボに乗せてやった。
排水の升の中の泥出し。果たしてパイプの中にも泥が入っているが、とれるかどうか。
午後はアラスカに行った音楽家あかしさんのお話を聞きに行った。
11月15日(金)
排水升の中に水を流し流れることを確認。ただし最後の升から排水口へはまだ詰まっているらしく流れが悪い。高圧洗浄機が必要だ。浄化槽へのトイレからの排水は何度か水を流したら泥水が出て開通し大丈夫だった。
電気のコンセント外しを始めた。配線ボックスの中は砂やゴミだらけだ。新しいのに変えようとしたが室内の泥の洗浄をしてからがよいと気がつく。一階の電気開通はまだ先だ。廃棄物は市の担当が8割ほど片付けてくれた。
タガメの冬越し水槽をつくった。砂と落ち葉入りの水槽だ。
夜に、OAさんが高圧洗浄機を持ってきてくださった。いつまで借りられますかと伺うと、「無期限です」とうれしいお返事。
11月16日(土)
4時半に目が覚め、リホームのことやら、あれこれと寝床で思考。5時には起きた。
朝久しぶりのゴミ拾い。気分がいい。朝は寒くなった。
水トピアで草刈りなどしていると孫が来て遊んでいった。
午後はストーブの復活を試みてみようか。
→ 使えるかどうかの試み
石油ストーブ、オイルヒータを分解し泥を洗い出す。オイルヒーターはすぐに使えるようになった。
夕方、孫が化石採集したいというのでヨウバケへついて行った。いくつかとれた。河原はすごい地形の変化で広くなった。
11月17日(日)
今朝もゴミ拾いができた。
朝食を済ませた孫とヨウバケへ化石採集。カニの一部も見つけた。
高橋英夫さんの詩集発刊記念の集会に11時から午後2時半まで。ボランティアに来てくださった友人も3人いた。
その後、孫と化石採集に合角へ。結構とれた。
11月18日(月)
今朝もゴミ拾いができた。
午後は榮峰さんの個展へ。そこで留美子さん光夫さんと出会う。
11月19日(火)
朝のゴミ拾いでHOPEの空き箱を拾った。希望を捨ててはいけません。とfacebookで書き込み投稿。
9時頃現場へ。現場で高圧高圧洗浄機で洗浄。
トイレから浄化槽までは開通していたが、風呂や洗面所の排水はどこかで詰まっていることが解った。

高圧洗浄機は威力がある。コンセントの中からも土が出てくれる。木部の泥がとれただけでも気持ちがいい。IKさんが訪ねてきてくれてドアやトイレも中古であるよと言ってくれた。お昼を挟んで午後3時頃まで洗浄していた。砂を6袋持ってきた。
帰宅すると朗報。家内が火災保険の内定が出た事を伝えた。借金せずにハンドメイドでリホームできそうだ。
11月20日(水)

今日は生き残った建具を高圧洗浄機で洗浄。
室内の石膏ボードを止めていた釘もほぼすべて抜く。
11月21日(木)
午前中は支所に行き住宅の鍵をもらうなどの手続き。区長は?防災放送の受信機は?とこちらで聞かないと答えてくれないのは引っ越しされる人への対応のマニュアルがないのかな。何度も役場に行くのは困る。あぁ浄化槽のことを聞くの忘れた。あれやこれやと30分、やっと引っ越し先の市営住宅を見に行く。体裁はいいが洗面や台所に温水が来ていない旧式。瞬間湯沸かし器も台所に設置しないといけないとは・・・。周りは静かで日当たりもまぁまぁ。前の民家のおばあさんが「お茶でもどうだい」と誘ってくれた。
午後は、ストーブの組み立てとサーキュレータの分解掃除。アイロンは再度、泥を洗い出し使えるようになった。
11月22日(金)
ボイラーや水道関係は水抜きをしておいた。今朝は家の外の温度計が0度だったから凍結に注意!
コンセントを取り替え、通電したら一階もすべて電気が使えるようになった。一つは娘家族の家用に電灯を外したが、その後3つ婿さんが外し新居へ持って行った。
午後サーキュレーターを動かしたがモーターやベアリングの中にまで泥が入っていることが解り清掃。まだしつこい泥がありそうだ。
11月23日(土)
婿さんが市役所へ住所が変更になったので住民課に届け出に行った。そうすると学校教育課と学校の児童医療の手続きも必要なので子供科にも行ってくださいと言われたそうだ。行ってみると学校も変わらないのでそれは必要ないと言われた。通学班やバスのこと等は支所へ行って下さいとも言われたが、『学校でしょ』と。結局すべて学校で済んだそうだ。
ただでさえ市役所へ行くことと支所へ往復するのは大変な苦労。その苦労を当事者にできるだけ少なくすることが行政サービスだと思うので、マニュアル化をして当事者の苦労の無い様に対応してほしいものだ。
11月25日(月)
台所の外の土砂を排出した。
土日の雨で土砂が玄関前を結構流れてきていたので、排水の勾配を確保してみた。

午後は水トピアへ池の拡幅に行った。
11月26日(火)
4時15分に目が覚めた。やはり、被災現場をどうしようかと思考が巡る。起きてNHKアーカイブをラジルラジルで聞く。「台風の巨大化は地球温暖化が原因か」では化石燃料の利用で二酸化炭素が排出され、温暖化が進んできた。その結果、海洋の温度が上がり台風の巨大化が起こる。世界では洪水や水面上化や巨大ハリケーン、一方で乾燥化で巨大山火事も各地で起こっている。との事。
12月1日(日)
ここ二日ほど氷点下で氷が張ったので、すべての水道口の水抜きをした。
下の被災したOさんがご夫婦で廃棄物の処理の様子を見にきた。『国の支援措置に該当できなくて、いっそ全部流れてしまえばよかった。片付けしないで済むし。浄化槽もふたの上まで土砂が入っていて使えない』と。
きっと全国で水災、震災などで未だに仮設住宅に住み続ける人々が多いことと推察される。台風19号被災で未だに二階に住み、一階は床を剥がしたままの家で生活する人が多いと聞く。支援金だけではリホームができない。全壊なら生活支援に基礎支援金100万、さらに家屋建設するならば加算支援金200万が支援される。でも国の支援で家を一軒撤去して、建設するのに計300万では無理だし、借りることもできない人が多いはずだ。娘家族もどうしようか悩んでいる。→支援措置(埼玉版)
娘家族は市営住宅に住むために、ほとんど流された家財や衣服等の洗濯機、レンジ、布団、電気機器、ガス機器、エアコンなど暖房器具、冬服等々を新規購入するために100万はすでに超えるようである。ちなみにこの日現在で支援金は振り込まれてはいないそうだ。冷蔵庫やテレビ、食器棚や机、こたつ、ダウンの上着などは寄付がいただけたが、足らないものは新生活のここで買う必要がある。
さて、ここ数日、私も何をしたらよいか、悩んでいる。最低限の費用で床と壁を貼り、倉庫ぐらいの使い方が妥当なところか・・・。まずは下水が貫通しないと・・・。
12月8日
娘家族は引っ越し。→市営住宅へ
3月11日 東北沖震災から9年の日 そして、コロナウイルスの影響で学校も今月から休校・・・どんな猛威をふるうか心配。
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