台風19号の記録 2019 秩父

①未だかつてない大きな台風との前触れ やってきた台風 ②娘家族の被災・全壊 ③ボランティアさん ④さぁ壊すのそれともリホーム ⑤解体へ

②娘家族の被災・全壊 罹災証明 この家どうする 娘家族の市営住宅への手続き 支援金は

10月13日(日)
娘夫婦は二人で家に行ってきた。「流されていませんでした。だけどめちゃくちゃです」・・・
写真を見せてもらった。見ただけでもう住めないと感じた。設備が全て破損しているし、壁がかなりぶち抜けている。

キッチンの壁が抜けていた

玄関のドアはグニャグニャ

居間とキッチン 泥が積もっている 壁に穴。
果たして使えるものはあるのか→■

空っぽの玄関

和室からキッチンを見る 冷蔵庫が跡形もない

和室の寝室 畳も持ち上がっている

手を付けられない室内

居間 テレビもキャビネットも流された
1.8m程の水が入った様だ
時計だけは悲しく動いていた

基礎の上まで泥が積もっている

テラス

風呂場 細かな粘った泥が堆積している

玄関側にはかなりの土砂
日曜だが秩父市役所危機管理課に娘夫婦と家の所有者の家内が写真を持って行って罹災証明を受けてきた。
損害は単なる「床上浸水」と記載された。そんな評価が正しいのかもわからない。この後この内容で保険や保証はどうなのかの手続きや問い合わせ、郵便物やガスなどの停止、どこかに住むことができるのかと多くの手間暇がかかる。設備損壊と壁の穴や泥の山を見ると現場の片づけに心が及ばない。

午後秩父市議会議員Kさんが現場を見に来てくれた。
下吉田では「龍星まつり」を決行し、ロケットの音がたまに聞こえるが空しい。

Nさんから電話「夕方から体が空きますので夜通しでも土砂出しします。」とありがたい。
感謝の意を伝え、居間は手がつけられる段取りではない事も告げた。

あっという間に夜になった。今日できることをやって不安もいっぱいだが娘から「強制断捨離だな」と言葉が出るほどにはなった。
命があってよかったという言葉で夜が過ぎた。
14日(月祝)
娘のパートナーの両親が心配してきてくださった。お米や野菜をいっぱい持ってきてくださった。皆は現場を見に行った。
12時、私はすっかり忘れていたNさんの受勲祝賀会にも慌てて行った。とにかく何から手を付けていいかわからないのが被災だ。夜の塾も平常に仕事はできた。明日は中間テスト。周りでは大きな被災は無いようだった。
15日(火)
4時頃目が覚め、あれこれ考えが巡り寝付けない。物事の優先順位も解らなくなってきた。

今日は孫たちも学校だ。親が車で送っていった。先生に被災を知らせ、無くなった教材なども伝えた。転校の可能性を告げると、この一年のことを思って残念そうだったとのこと。親はできるだけ転校させたくない思いで家も探し出した。

午後4時、とりあえず、壁に穴の開いたところとサッシの抜けたところをブルーシートで覆った。婿さんはこの後で市営住宅も見に行ったようだ。
娘の家の3軒ほど上のTさんの家の状況

この現場から地域に水が氾濫したようで深い基礎部が掘り出されている。
ここから娘の家まで一直線に川になった痕跡があった。
16日(水)
5時には目が覚める。

10時過ぎから昼まで中学校の森林学習の授業に行った。今日は植物の図鑑作りだった。ほぼ予定道理、楽しくうまくいった。

娘が「母子手帳も流された」と語った。子供二人の誕生と成長の記録の喪失は結構心が重いようだ。日がたつにつれて、あれもなくなった、これもない、と徐々にダメージが増えるようで、私もああすれば、こうすればと、あとから残念な思いがやってくる。
17日(木)
3時半には目が覚めて眠れない。寒い朝だ。
この記録の続きを書き始めた。5時半、娘家族と避難してきた猫のチョコが起きてきた。洗面所で水をあげた。
6時半家族が起きてきた。被災状況を役場の人が来て確認してもらうまで片付けができないねとの話。市役所の職員も忙しいのだろうが反応が遅い。
連絡した保険屋さんも見に来るまで、かなり時間がかかりそうだという。写真をとにかく撮ることで記録しておくことが大事だと話す。(今日の一日はどうなることか)
18(金)
10時から12時までパソコンボランティアの講習会へボランティアに行く。こんな時間は楽しくて、いやなことを忘れさせてくれる。

数日前に知人から家電家財の寄付のご案内があり、娘たちも市営住宅のめどが立ったので、お申し出をありがたく頂戴したいと連絡ができた。搬入を11月の頭に設定し、まずは新しいスタートに希望ができた。
19日(土)
私は今日の午前中予定だった中学校「未来塾」は中止。これは文化センターに避難生活者が滞在しているためだ。被災は大きいと感じた。

午後は池袋での「高校同窓会」へ悩んでいたが気分一新のつもりで向かう。会場で司会が「被災した方はいませんか」との問いにハイと返事。状況を話した。同窓生はほとんどが都内在住。アンテナが飛ばされたぐらいの被災ですんでいるようだった。

家から市議会議員Yさんが市議会議員とSaさんと現場を見てきたと連絡が入った。また、小鹿野町議員IKさんが訪ねてきてくれて「できることは何でもします」とありがたい。ちちぶエフエムさんより電話連絡があり、罹災のことも含めて出演依頼があった。お受けした。27日午後2時。

次女が東京から戻ってきていて甥っ子二人と遊んでくれたりしていた。家族はありがたい。孫たちは元気な声がよく出ている。

夜、私の予定する11月の小さな個展とグループ展のための作品の仕上げが滞っていて、「早くに出せないと伝えればよかったかな」と家族に話す。私も正直、どうしたらよいのかがわからない。やめてもかえってストレスがたまりそうだし、かといって家の片付け作業もできない。台風前日や当日朝も「優先的に娘の家へ備えの手伝いができなかった事がトラウマになってきている」とも家族に話した。
20日(日)
朝、私は同窓会の写真などをパソコンでいじっていたら、家内が「優先順位が違うでしょ」と。今日は家屋の保険屋さんが現地調査にやっと来てくれる日だったが家族が「家にいて作品やりなさい」と言ってくれた。
お陰で、この日に集中して作品作りができた。絵に集中しているとすべて忘れて没頭できる。昨夜、家族に話したことで少し吹っ切れたものがあった。思いを話すことは大事か。

保険屋さんも手薄で岡山から関東に手助けして来てくれた方だったそうだ。娘がニュージーランドに行ってからは保険も半額の手薄なものに切り替えていた。連れ合いは半額のものにして失敗したなと悔やんでいた。しかし、火災保険に水難補償も入っている保険だったことが少しの救いだ。とりあえず、この後、補償金が決められて送られてくることになる。市役所ではまだ見に来てくれてはいない。
水が漏れているかもしれないので、元栓を止めてくださいと地区班の方から連絡を受けた娘婿さんはたまった土砂を深く掘り水道の元栓を探り当てて対応した。

秩父工芸家協会のUさんが娘の家の隣だったので心配していたHさんへ、その様子をお伝えしら、夜、同協会のHさんが訪ねてきてマスクや手袋を届けてくださった。
ここ数日、私も家内も夜眠れないひが続いていた。
寝ていると「ああしておけばよかった、こうしとけば」と考えているうちに3時とか4時に目が覚めるのだ。娘たちはというと、夫婦して川でおぼれる夢を見たということだ。私たちより精神的ストレスは大きいはずだ。トラウマになってきているかもしれない。
21(月)
婿さんはもちろん仕事。朝7に出ると夜は9時に戻るほど忙しい。娘はミューズパークで仕事をしていて、ここ数日は断水等の被災で休みにさせられていたが、今日は仕事があると出かけた。せっかく9月に採用された仕事だったが今後もどうなるか心配。

市議会議員Kさんが衆議院議員Kさんを案内して現地視察をしてくれた。埼玉でも秩父地区の被災情報がないので、国会でも紹介してくださるようだ。ボランティアセンターの設置の考慮なども・・・Kさんとも話したが、補修改築にしても、建て直しにしても、いつかまた増水の可能性の中ではできない。そうなると再建補償は使えなくなる心配を共有してもらった。

小鹿野町議会議員IMさんから県の補償制度が使えるのではと資料を届けてくださった。

市から「全壊」と罹災証明してくれたと娘婿から連絡が入る。市の見舞金は「床上浸水」や「一部損傷」なら3万円のところ「全壊」では10万円になるそうだ。支援金の手続きも今後、手間がかかるようだ。

夜、小学生の2人の新しい割烹着を用意して試着していた。学用品の代金の補償は一人1万円だそうだ。後から支給されるそうだ。流された割烹着、運動着、運動靴、習字の道具、絵の具、・・・結構かかる。給食費はとりあえず免除にはなるらしい。

夜中にfacebookに以下のように投稿
近況報告
娘家族の台風19号の被災では、多くのお見舞いのお言葉をありがとうございます。
昨日21日にやっと「全壊」との判定が出ました。秩父市では今のところ2軒だそうです。やっと片付けなど始められるかというところです。娘家族は日を決めてボランティア募集をしたいそうです。これから市の社会福祉協議会に要請をかけたいと計画してます。11月には市営住宅に入る予定もたちました。正直言えば私も含め皆がストレスで夜もよく眠れない。生活の中でも何を優先順位にしていいのか、わからない事が多々あります。しばらくは現実を受け入れて、進める道を一歩づつです。よろしくお願いします。

娘の家の近辺を視察してくださった。その後、下のOさんの家も視察。
物置は壊滅、家の中では床が斜めに起き上がっていた。
22(火) (天皇即位の礼で祝日)
目が覚めて心臓が高鳴るときがあったが我慢して6時まで寝床にいることができた。

娘が現場から拾ってきた泥だらけのカメラとビデオからSDカードを引き出した。隅々まで細かな泥が入っている。よく乾かして中身のデータが読めればいいが。私の父親の遺品の絵とアルバムが被災したようだ。使えるものはあるのか→■

Sさんが長靴履いて家へきてくれた。話を聞いて駆けつけてくれたようだった。感謝をお伝えし、片付けは今後、日を決めてすることをお伝えし帰っていただいた。そのSさんから話を聞いたとSGさんが見舞いの電話を下さった。

夜、娘は二人の子に買ってきた絵の具や習字の道具に名前を書いたりしていた。
23日(水)
朝4時に目が覚めた。
片付けのことや私の父の作品の事で考えが巡る。

11時から1時まで中学校の森林学習教室だった。私の授業の最終日だったが、うまくまとめられた。授業しているとすべて没頭できて充実して楽しい。

K市議会議員が暮坪のもう一件の大きな被災住宅の片付けのボランティアに行ってきたとの連絡。10人ほどで、社会福祉協議会で登録された方が来てくれたとのこと。

午後、予定していた市営住宅は漏水で使えない事が今日になって婿に伝えられました。建設課に予算がないので、そこの修理はできないとのこと。
そこで、もう一つ提案されていた住宅はというと、職員もおすすめできないのですがと一言はいった古い住宅。さすがに本人たちも既に見ていて、いやだと思うところらしい。贅沢言ってもいられないが・・・仕方なく、また家探しです。学校は変えたくない。吉田地内でと娘夫婦は見つけています。冷蔵庫や洗濯機、食器棚などもいただける予定なのに搬入場所が決まらなければ無になります。

なお娘夫婦は11月6、7で片付けの予定をたてました。明日、社会福祉協議会に依頼に行きます。罹災証明に心配もあるので・・・
24(木)
4時に目が覚めてしまった。仕方なく資料など作っている。5時半、寝床に戻ってみる。
午前中に市役所に行き固定資産税の減免、見舞金の請求、ボランティアの要請手続きをしてきた。しかし、埼玉県市町村生活再建支援金支給申請書は条件の中で一地区に10軒の全壊がないと出せないと言われ落胆。(家財保険に入ってはいなかったので)娘家族は10万円だけで再建かと・・・

午後は空き家探し。Kさんの案内で4軒回る。別荘地に3軒、街寄りに1軒。空き家は豊富だが果たしてどれをどう選ぶか・・・

その後、市議会議員のYさんが誘ってくれたので私と婿さんで危機管理課に向かう。そこで、改めて支援金の現状をつぶさに説明していただいた。つまりは国の支援制度が設定されればそれを元にして対応し、それにもれた人を県の支援制度で支援してゆくことなのだそうだ。国の支援金が決まればどちらかで支給されると言うことが解った。実にほっとした。合わせて市営住宅の配慮をお願いしてきた。
25(金)
午後4時役場から婿さんに連絡が入り、市営住宅は「漏水工事をして入れるようにします」とのこと。さらに、家賃は6ヶ月無償だそうだ。家族で歓声が上がった一瞬でした。よかったね。
こんな一歩一歩の前進が必要だ。

片付けのボランティアは社会福祉協議会と婿さんとの連絡で11月6・7日に予定。地域ボランティアに登録すれば保険は協議会で負担。

夕刻、小鹿野町議会議員IMさんががれき処理に関する環境省の資料を持ってきてくださった。
27(日)
今日は長男が戻ってきて現場に行って、泥に埋まった脚立を掘り出しておいてくれた。畳などカビが出てきていたとのこと。心配だ。

お昼はそば屋で暮坪の被災したOさん夫婦にであったが、私はつい「あぁ水の中の」と呼んでしまった。私の中ではあの大水の中に一軒建っていた家の印象が強かったからだ。片付けしてはいるがすむつもりはもう全くないとのことだった。

午後2時 エフエムちちぶに出演してきた。トークは楽しかった。絵のこと、自転車で日本一周や沖縄60日やインド100日などの旅の話。家造り、タガメの話など。そして娘の被災も伝えることができた。

夜、IKさんより電話。重機も使っていいとのことで、明日現場を見に来ることになった。

私は10時過ぎまで作品作りに集中できた。
facebookでボランティアの募集を載せた
ボランティア募集です。
被災家屋と敷地内の片づけ(娘家族の住んでいた家です)■11月6日、7日の午後(1:00-4:00)
◆場所:秩父市下吉田2945-8。聖音の湯のはす向かいの道を入ってから左側の農道に入ってさらに左の小さな集落。あとで地図を貼り付けます。◆駐車:車の方は聖音の湯のはす向かいを入って川沿いのアスファルト道路へ、片側駐車し、そこから徒歩(200m)でお願いできれば助かります。◆保険:秩父市社会福祉協議会へ電話(0494-22-1514)して、ボランティア登録してくだされば自己負担なく加入できます。今回だけだと350円のボランティア保険の自己負担で当日現場で加入になります。前日までに社協へ電話を入れて下さい。◆持ち物:手袋・軍手、マスク、飲み物など個人で必要なものはお願いします。◆水道は使えます。(手を洗ったり、飲み水として)◆トイレはありません。取り方の運動場の公衆トイレ(取方橋のたもと)までゆけばあります。休憩時間とって一回トイレには行きます。●現場はほとんどが砂ですが、泥も混ざった土砂の撤去。濡れて使えない家具や畳などの撤去。使えるもの、記念の物などの捜索。2日目になると思いますが床をはいで床下の泥の撤去。以上は変更・更新などあるかもしれません。問い合わせはメッセージなどでお願いします。
グレーでの作品、武蔵屋でのグループ展への作品、版画を残して額装ができた。
ほっとした。
→ ボランティアさん  さぁ壊すのそれともリホーム