①未だかつてない大きな台風との前触れ・やってきた台風 ②娘家族の被災・全壊 ③ボランティアさん ④さぁ壊すのそれともリホーム ⑤解体へ
防災のまとめを友人のAkihiro Otsukaさんがつくってくださいました。他人事ではない注意が必要ですね。
10月11日(金) | |
今までにない巨大な台風と前ぶれされていた台風19号。 暴風域に日本が入ってしまうような絵だ。 10日にはブルーシートやビニールひも、ガムテープ、ペットボトルの水など購入。家の周りの風で飛びやすいものを片付けたりした。千葉の台風15号の被害では屋根が飛ばされ、家の中が水浸した映像が多かったので屋根が飛ばされることが大きな心配であった。 ←11日朝7時前の天気予報では注意喚起している。 秩父では11日(金)午前中も雨もなく無風。私はというとパソコンの講習会のパソボラに出かけたり、買い物したりしていた。 夕方も雨も風もそれほどではなく、夜の塾も生徒の欠席もなく平常の授業ができた。15日が中間テストだ。夜も9時過ぎても、いくらか雨が降る程度の雨量だった。とても大きな台風の感がない。 しかし、夜中から12日朝にかけて雨の音が激しく感じてきた。そして、朝。。。 |
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12日(土) | |
12日朝、ヨウバケから崖の崩れる大きな地響きが聞こえた。大きな川のうねりの音も聞こえる。風はほとんどない。 8時に傘を差し、ヨウバケの下の赤平川を見に行くと ← 9月の千葉県に大被害をもたらした。台風15号より増水してるではないか。雨も大降りの感がないが、上流でかなり降っているのだろう。19号はこれから上陸だというのに... |
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大きな音を立てて、がけも時々崩れる。崖には滝のような流れも出て、一気に土石流のような崩れ方もする。 家に戻り、下流に住む娘が心配になった。家内に『荷物をまとめて注意するよう』連絡を入れさせた。 |
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朝8時半になって下吉田に住んでいる娘と孫二人が来た。 「怖いから来たよ」気のみ気のままな荷物の分量。そうこうするうち、仕事に行った娘のパートナーからも連絡。『今日は帰宅という指示になった。家に寄ってからこっちに来る』とのこと。もう少し持ってこれるものがあるだろうと思って、私も娘の家に向かった。 |
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途中の橋では川はかなり増水している。取方の運動場の土手ではあと3mぐらいで水も超えそうな勢いだ。こっちは私の住む環境より低い土地なのだと再認識。心配だ | |
9時45分 娘の家はすでに水に取り囲まれていた。娘のパートナーは「もうだめです」と引き返すところだった。 |
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玄関前も10センチ以上来ている。ガスボンベはごろごろと暴れていた。とりあえず栓は締めておいた。仕方なく帰ることにした。 (ここまでの記録を14日にしておいた。続きは17日朝書きこんだ) |
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10時 私の家に帰り、ヨウバケの水量を見に行く。カメラマン山口氏が撮影していた。 | |
右の木の根本が水につかっている。手前の階段の下まで水が来た。朝8時より1mは増水している。 |
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私の家では娘のパートナは気落ちして、うずくまっている。娘に聞けば服も今日の分だけ。まだ間に合うのなら必要なものを取りに行こうと呼びかけた。二人は一瞬顔を明るくした。雨具をつけ長靴をはき、娘の家に向かう。 | |
11時20分 家の目の前まで来たがかなり増水している。見れば、まだドアの前で水深20センチはない。長靴でも行けると踏んで入り込んだ。 私は二人が袋に入れ込んだ服やランドセル等、次々と車に運んだ。その間、玄関に入る水は徐々に激しくなる様だった。「子供の自転車を向こうに運べますか」と、いわれ玄関から運び出し車の先の木の下へ置いた。 |
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水量も増えてきて、上がり框にも波打つぐらいになってきた。「もうそろそろだよ」と注意喚起。車の荷台もいっぱいにはなった。電気製品とかはいいのかなと頭によぎる。二階にのせてあるだろうとも思っていた。後で聞くことになったが『電気がついてないので手あたり次第つかんで袋に入れた』との事。 玄関にあった自転車2台は救出した。孫はこれがあったので被災後も走り回り元気だ。 |
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11時45分 水で囲まれた娘の家。この家の姿を後にして帰る。 家で荷物を降ろすと二人の気分はいくらか楽になった様だった。孫のランドセルと教科書なども手元にきた。娘のパートナーは『子供の自転車を取りに行きます』と、気がかりなのか取りに向かった。 無事自転車も運んでこれた。「これだけは、思いがあるんで」 お昼は何を食べたか記憶にないが皆の顔を見ながら、ほっとしたひと時ではあった。 |
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13時30分 雨は降り続けている。 ヨウバケの前 階段のさらに上になっていた。 娘の家はどうなっているんだろうか... |
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15時のテレビでは土砂災害警戒【埼玉県】長瀞町、小鹿野町、東秩父村と、テロップも出た。昨日の予報通りの上陸となった。 台風はこれからなのか... |
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16時3分 何か心配で様子が見たい。後で娘に言われたがこれはこんな時の危険な心理だそうだ。 私たちは娘の家を見に行った。 ← 途中の道から見る川は恐ろしい濁流となって、家も流されたかと思う様子だった。 |
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先に見える風景は一変している。 川がうねり あたりを飲み込んでいる。 この道もあと1mで冠水だろう。 この道がだめでも奥に抜ける道があるので、いざとなれば出られると踏んではいた。 |
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いつも行く道は水没していた。 前に見える家から手前は畑だった。 娘の家の下に当たるOさんの家が水の中だ |
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16時10分 娘の家への道は水で遮られていた。 左の水のタンクの横に孫の自転車が置いてあったが『取りに行ってよかった』と娘たちは話していた。 |
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あぜ道から様子をうかがうと手前の家や木の間から娘の家は見えた。まだ流されてはいない。 |
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さらに先の家も 水に囲まれていた。 |
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16時25分 赤平橋まで回って帰る。 やはり今までにない増水か。 この先がヨウバケ |
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『家は流されるか』などの心配もあり、眠れぬ夜を皆が過ごしたに違いない。 『想定外のことはいくらでも起こる』 そんなことを改めて思うのだった。 どんなことが起ころうが、命あってこそと自分に言い聞かせる。夜半になって雨音も消えた。ヨウバケからはごうごうと音がする。 市議会議員Aさんが市議会議員Yさんと現場を見てきた。Saさんはfacebook見て現場に行ったと連絡が入った。 |
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13日(日) | |
13日 6時30分 雨は降っていない。風もない。 ヨウバケ前い行ってみた。 一気に水は引いていた。 風景も一変していた。 |
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娘夫婦は二人で家に行ってきた。「流されていませんでした。だけどめちゃくちゃです」 写真を見せてもらった。見ただけでもう住めないと感じた。設備が全て破損しているし、壁がかなりぶち抜けている。 |
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