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第35回奈倉展
特別展示「森玄黄斎生誕200年記念」展示

2007/4/8


森玄黄斎

紋と伊左衛門

高橋前区長と今井町議会議長

森真太郎氏(森玄黄斎から7代目)と関口町長、田嶋区長

森家に保存されているものを一堂に展示しました。
秋祭りでは「玄黄斎生誕200年記念」寸劇も上演
秩父の彫刻家   森 玄 黄 斎
 森玄黄斎は、幼少より書画。彫刻に優れた才能を表しました。特に細密な彫刻を多く残したことで知られており、わずか1寸5分(4.5p)の印材に孔子の弟子三千余人を細刻して将軍家に献上したという話や昼間でも星を見ることができたという話が伝えられています。
■玄黄斎の生い立ち
 玄黄斎は、文化4年(1807)白久村(荒川村)の旧家山中家に生まれ幼名を庄吉といい幼い時から利発であったといいます。4歳の時、母親が夕食の支度に稗(ひえ)の粉をこねていると、庄吉がむずかってしきりに泣くので、なだめるためこねた粉を持たせました。炊事を終えた母親がふと見ると庄吉はすでに泣き止み、稗の粉で小さな犬を作って遊んでいました。その犬の形が実に写実的であったという伝説が残されています。
 5歳の時、千嶋軸雲(ちしまちゅううん)の私塾で読み書きを習い、次いで信州出身の絵師墨渓に画を習い芸術に深い関心を示しはじめました。山中家には10歳の時に彫った将棋の駒が残され、玄黄斎の最も古い作品として知られ荒川村指定文化財に指定されています。
■芸術家への道
 成人後、庄吉は名を金道、権衛と改め、雅号を竹貫、竹雅と称して彫刻や詩文の制作に あたり、25歳の時に下小鹿野奈倉の森家に入りました。森家は秩父絹を商い、当時の領主 松平氏の御用人格となり、江戸城本丸に出入りを許されたほどの豪商でした。当主の伊左衛門は、技芸に理解があり江戸の学者とも親交のある人物でした。玄黄斎は森家に入婿して以来、宿願である彫刻の技に打ち込むことができました。天保10年(1839)に江戸で出版した『印籠譜』は玄黄斎の名を不朽のものとした大作で、30歳の時から3年がかりで印刻されたものです。その序文は儒学者の亀田綾瀬(かめだりようらい)が寄せており、玄黄斎を「技
 に神なる者」と褒め称えています。印籠に刻む画題を2巻にまとめ、武甲山など秩父の風景、七福神、恵比寿、大黒などの縁起物、犬、龍、虎などの動物を見事な彫法で表現しています。これらの画は森家に狩野探幽作の「虎図」が保存されていることなどから、狩野派の画風に私叔したとも考えられています。
 玄黄斎は、詩文にも興味を持っていました。「世の中の人をよしのの花と見ば、色にも香にも隈なかるへし 高松左衛門 清浄園竹貫 号玄黄斎」や「秋の夜のあはれもあれど神奈月 もみぢちる夜ぞかなしき 秩父小鹿野村 伊勢山」などが知られています。玄黄斎の詩作については兄山中右膳の影響があったといわれます。右膳は大宮郷の代官所から百姓組頭格の役を与えられる程の人物で、和算・俳諧にもたけ、『算法諸学抄』『算法口伝抄』などの書物も著しています。右膳は農耕のかたわら、絹の仲買を営み、玄黄斎の技芸への良き理解者であるとともに資金面でも良き援助者でした。
■信抑への道
 玄黄斎は、嘉永元年(1848)に妙見社薗田筑前に伴われ伊勢神宮に参拝しました。そのまま伊勢に留まり、神道を学んでいます。また、京に上り前宰相高松公祐(たかまつきんすけ)の許に入門し和歌を学びました。
 帰郷後は故郷の白久に伊勢神宮を勧請して自ら神職となり、神徳の宣伝に尽力しながら彫刻・絵画の制作を続けました。
 晩年になってからは、白衣に白袴の姿で秩父郡中をはじめ東北地方などをめぐり歩くなど、風狂人としての振る舞いが多くなったといいます。明治17年(1884)の秩父事件の際には竹刀を腰にさした異装をとがめられ、誤って憲兵に捕らわれるという事件が起こりました。これがきっかけとなったのか健康を害し、明治19年(1886)1月4日に80歳で世を去りました。

「参考文献」
渡辺刀水「森玄黄斎」『埼玉史談』4巻6号 昭和8年
  「森玄黄斎余録」『埼玉史談』6巻1号 昭和9年
田島凡海『森玄黄斎の人と作品』秩父新聞社刊 昭和34年
『荒川村の文化財』荒川村教育委員会編・刊 平成6年
『りょうかみの指定文化財』両神村教育委員会編・刊 平成4年
『小鹿野町の文化財』小鹿野町教育委員会・同文化財審議委員会編・刊 昭和59年
「秩父の彫刻家森玄黄斎」埼玉県立博物館特集展示リーフレット 昭和62年

平成19年4月8日(日)
「森玄黄斎」小鹿野町教育委員会社会教育課山本正美
『稀代の芸術家 森玄黄斎展 資料目録』より
(平成6年9月 小鹿野町教育委員会・小鹿野町文化財審議委員会編)
「秩父の彫刻家 森玄黄斎」は小鹿野町教育委員会作成