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2004(32回)奈倉宿 2005(33回準備会一彦さん語る) 2006(34回)奈倉館 2007(35回)玄黄斎
奈倉宿年表(江戸末期から明治) |
1744 延享 妙見庵 念仏鐘造る 大徳院絵地図(大徳院蔵) 1775 安永3年 妙見宮棟札(九月吉日) 1793 寛政4年 歌舞伎上演(芸座より) 8年 森伊左右衛門 下吉田村から入籍する 1804 忍藩阿部氏から絹布取引所 大宮郷 小鹿野 下吉田 文化14年 大徳院 現在地に上棟 1818 文政12年 百霊場供養塔建立(西国・坂東・秩父) 1830 天保14年 2玄黄斎白久村より入籍する 7下小鹿野村絵地図(田島巌家蔵) 大徳院庚申碑玄黄斎刻 7田村検校(安政の歌人)徳川家慶に謁見(三回) 1844 弘化4年 加藤金四郎(小鹿野)蚕種製造方法の研究 ペリー提督二度目の来朝 森伊左右衛門 座機織改良製造・製糸業振興 1848 嘉永6年 4妙見宮入口・灯籠建立 森伊左右衛門・洲崎屋興助(東京両国) 1854 安政6年 6横浜開港 生糸輸出始まる 6安積艮斎撰文 小鹿野の碑 森為美(伊左右衛門)建立 1860 万延1年 1861 文久3年 1864 元治1年 武州打ちこわし「米よこせ」名栗村から始まる 打ちこわし6月19日小鹿野・奈倉方面へ 森伊大黒柱のきず 1865 慶応2年 |
1867 明治元年 小鹿野村から小鹿野町に改称 岩鼻県 明治2年 下小鹿野の絵地図(浜田清治家蔵) 群馬県 明治3年 入間県 明治4年 官営 富岡製糸場応募者田島いき(17歳) 明治5年 学制交付 小鹿野郵便局開設 熊谷県 明治6年 官営 富岡製糸場応募者田島良 明治7年 春日野学校(修学生徒資料) イタリア人蚕糸技師イシドル・テロー奈倉宿に宿泊(森屋に泊まった) 明治9年 下小鹿野村地権地図(森真太郎蔵) 埼玉県編入 明治12年 秩父銘仙製織物増加 明治15年 小鹿野銀行類似会社 1883 明治16年 奈倉大火 松方デフレ(世界恐慌)生糸価一疋七円九二銭→三円八八銭へ暴落 1884 明治17年 秩父事件 奈倉には65戸の内47戸で困民党に参加→名簿 明治18年 秩父新道(住民負担金夫役奉仕)19年春完成 明治19年 田中千弥(奈倉十景を詠む)年代不詳 乗合馬車開通奈倉中継所(森久吉宅) 明治22年 市町村制改正・下小鹿野村併合 (71,314の町村が15,859に) 明治24年 下蔵 田村半七 酒造り資料 明治27年 日清戦争 1896 明治29年 小鹿野銀行設立 明治37年 日露戦争 明治38年 奈倉貯金組合資料 田島梅子小鹿野小学校教員となる(17歳) 明治39年 田島梅子上京 堺利彦・与謝野晶子に通じ小説・短歌を詠む 1907 明治40年 田島政子(旧姓高野 久那村)東京浜田産婆学校卒業(順天堂大学) 西秩父奈倉で赤子三百余人をとり上げる(大正五年から) |
明治時代の奈倉には宿屋は4軒ほど有り、質屋が3軒有った。 |
大正6年 奈倉田向こうの火事。田向こう13戸全焼 |
※この年表は奈倉展実行委員会特別展資料(2003)に手を加えたものです。 →準備会 →困民党名簿
◇リンク:比較するとよく分かる永法寺さんのHP