第8話 命がけのバス移動(ネパール) 

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  4月23日 5時起床。荷造りしてロッジを出る。6時、郵便局の前のバス発着場で待っていると、先日売り払った、僕の服を着ている人が歩いて来た。「やぁー」と立ち話になる。ちょっと前の、自分のファッションのネパール人が居ると言うのも、変な気分だが、彼はとても気に入っているようだ。

私の服を着た直立不動のネパーリー(私たちの荷物を前に)

 6時半、目的のミニバスの屋根に大きな荷物は載せて、席に着く。ミニバスと言っても、決してミニでは無く、普通の大きさだ。シートは板の上にビニールがそのまま敷いて有るだけの、とても堅い物で、ガタガタしている。運転席の前に神様が奉ってある以外は何も飾り気も設備もない。7時15分、運転手の神様へのお祈り後、なんだかんだと気ままに出発。途中凄い崖道も、飛ばして走り、冷汗もの。(ちなみに、先週は、たてつずけに3台落ち、百人死んだとか!そしてその死亡者への保証は三十万円ほどだと言うことだ)二〇〇qの行程の中、2回ほどの休憩が有り、そこに、いろんな物売りがやってきて、食事やお菓子には不自由しない。モグリンと言う処では、手首ほどの、太いバナナも売っていた。渓谷、段々畑の山々、長い砂利道を越え、約8時間後ポカラの街に着く。

 バスの中で知り合った少年の案内で、マウンテンビューホテルに行く。3人部屋をTAX無しの20Re(三百四十円)で借りる。雷雨の間を縫って、湖まで散歩し、ロッジやレストランを見て歩く。のどかな風景と素朴な人々、子供達の笑顔、いい所だ。

このホテルに泊まっていたひとりの日本人はのどかな陽の中で一日読書をしていた。英文のクリシュナムーティ著の本だ。うさんくさい宗教的な名前なので気にもとめずにいたが「いい本ですよ」と言っていた。しかし、帰国後、私もこの本と出会うことになり、心の中に改革が走った。

ポカラの小学校にて

 4月24日 5時半起床 まだ陽は出てはいないが雲もなく、アンナプルナ、マチャプチュレ(六九九三m)の勇壮なヒマラヤの山が目の前にそびえていた。巨大な壁、多くの山男を飲み込んだ山なのだ。

切り立ったアンナプルナとポカラの湖

 朝食後、レイクサイドの端まで散歩。旅行者が多いのが気にかかるが、ここはリゾート地なのだろう。 日本人が経営するスルジェハウスに、宿を移す。スルジェとはこの日本人の奥さん(ネパーリー)の名前で、太陽の意味だ。部屋は15Reにしてもらう。僕は3時間も歩いて銀行に換金に行き、裕子は溜った汚れ物の洗濯。ここの宿には他に日本人が何人か居て気が楽だ。遅い昼食の後は、二人疲れも出て、昼寝。裕子は風邪気味だ。

 夕食は、おにぎり、ベジタブルロール(春巻)をいただき、食後は皆の旅話を聞き楽しく過ごす。夜の虫の声は、日本のそれと同じで、秋のようだった。

 4月25日 沢山の美しい鳥の声で目覚める。おいしい、チベッタンブレッドの朝食後、ガンダケホスピタルへ向かう。日本で出発前にみたテレビで、医療品が少なくて困っている事を知ったので、包帯をいっぱい持ってきたのを、プレゼントするためだ。(少しはいい事をしなくては!)日本人の看護婦さんの案内で、今井ドクトールに会い、無事手渡すことが出来た時はほっとした。また、こんな奥地にも日本人の援助が有る事にもびっくりした。荷が軽くなった私は、雨の中、古い街中を散策した。二十頭の馬を連れた行商が通ったり、楽しそうにおしゃべりしながら、縫い仕事する女衆、人種の違う顔立ちの混じる児童のにぎやかな下校に出会ったり、『自然だなー、いいなー』と、つくずく思ってしまうのでした。貧しいことと不幸とは別なんだ!


子供達と一緒にボートに乗った

 おかゆに持参のとろろ、スープ、ロール、それになんと卵どんぶりの夕食で満腹。食後はマスターの平尾さん、2年に1回(9ヶ月)旅をしている絵描きのトシオさん、3ヶ月のインド旅行の途中の若い高野さん、パキスタンのラサールでマッサージ師に二百ドル盗られた斉藤さん、トレッキングしてきた女ひとり旅の滝沢さん、にぎやかに夜も更けるのを忘れて、話に花が咲きました。(久しぶりの日本語にほっとした)強いロキシー(地酒)も効いてきた。

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