第25話 海の街プーリーと物売り

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  7月3日 宿の食事はいまいち、おいしくないので、歩いて駅まで朝食をとりに行く。その帰りにはマンゴウも1s買う(3Re)。宿でそのマンゴウにかぶりついていると、昨日来たコーラル(珊瑚)売りのおじさんが来た。色々交渉して、お土産にいくつか買ってあげた。


右から知らない人、ロッジの給仕(少年)、布屋

 10時半 次ぎに来たるは布屋さん。おじさんの勧める一番高い布はまったくセンスに合わない。「一番良くない品だ」と言う布が素朴で安く(5Re)気に入った。僕らの持っていたビニールクロスでプリントの布も交換できた。その布をターバンにしたりして楽しんでいると、次は「ありがーと、ありがーと」と物売りが来た。日本人観光客ずれした物売りかと思っていたら、アリゲータ(わに)製の財布売りだった。大小ひとつずつ買って35。お土産がいっぺんに増えてしまった。

ロッジの目の前は海だ。毎日おねだりの痩せた犬が来た。

 11時半 近くのキサナドゥレストランに行く。メニューも多く安い。とても人の良いマスターや、小さなまかないの子供が2人、忙しく働いている。おいしい。  

プーリーの街のにぎわい

 バザールへ行きクルタ(インドシャツ)用の布を2m買う。「1日で作る」とニコニコ受け合ってくれた道端のテーラーに布を預けてきた。そこで、ビニールクロスと交換した布は4Reの安物だとわかる・・・!リキシャで帰り、波の荒い海で少し海水浴を楽しんだ。   
  夕方、また物売りが来たがもう買う意欲が無い。キサナドゥに夕食をとりに行く。店はすごくはやっている。スエーデンから来たと言うレディの隣に席をとった。彼女は指圧を仕事にしていて、インドではヨガとメディテーション(瞑想術)を勉強しているとの事。インドには色々なことを求めて旅する人が多いが、僕らはすでに何を求めているのか忘れてしまった。ただ、この空気と人の臭いがたまらなくいい。すっかり食事と会話を楽しんだ。マスターやまかないのクリシュナ(6才)も「ありがと、おやすみ」と見送ってくれた。

キサナドゥのスタッフ 右のクリシュナ君もよく働く

 7月4日 裕子は体調が良くないのでひとりキサナドゥへ朝食をとりに行く。その後はアルプラッタ(芋の入ったパン)、ダル(豆)、ローティ(パン)等のスナックを食べながら、ぶらぶらと街を散歩しただけで昼寝をむさぼった。裕子は風邪の様なので薬を飲んで1日休んでいた。なんとは無しの1日、こんな日はちょっと郷愁を感じる。疲れも出てきたのか?

 7月5日 6時起床 窓を開けてびっくり。海には百以上もの帆掛船が繰り出しているではないか。どんな魚がとれるのか?今夜は夕食に魚が食べたくなった。

 朝食後、バスターミナルへ行き太陽寺院で有名なコナラク行きのバスに乗り込んだ。しかし人が集まらず1時間しても出発する気配が無い。仕方なく乗合のジープで出発。約1時間でコナラクには着いたのだが、何と途中で乗れるだけ、と言うよりもたかれるだけの人が乗り、コナラクで人数を数えたら30人の人が乗っていたのにはびっくりした。ギネスかサーカスかの騒ぎだった。

 コナラクはとても小さな村で、そこにとても立派な石造の太陽寺院があった。彫刻が外壁にびっしりと施され、動きもしない寺を一見動くように石の車輪が着いていてまるで大きな屋台(山車)の様だ。教えの館でもある寺院を曵いてその教えを広めるようにとの願いなのだろう。


コナラク太陽神殿
見事な彫刻がびっしり

 博物館を見学し、昼食をとり、クッションのよいミニバスで帰る。ちなみにジープは板の様な座席でバスよりも料金が高いのだ。昨日のテーラーに寄ると布はまったくの手付かず!あきらめて持ち帰ることにした。街中は祭があるらしく屋台(山車)の骨組が作られていて、なにか慌ただしい。蛇使いも居た。電卓を売ってくれと言う学生を振り切りリキシャにて宿へ戻る。

街中で見たへび使い 太鼓を鳴らして踊らせていた。

 夕凪の海辺を散歩していると、またしてもバッグ売りやピクチャー売りが来てうるさい。よく買う日本人がいるような情報でも飛びかっているのだろうか?

 キサナドゥに行くとマスターがニコニコと、手にロブスターを掲げた。生きのいいのをさっそく調理してもらう。15Re(=375円)なり、と高めだが、実にうまくて、くまなく食べてしまった。残りの甲らも宿にうろつく、やせっぽちの犬にあげたら喜んでいた。大満足で二人ニコニコ。海鳴りを子守歌に、プーリー最後の夜が更けた。

うまかったロブスター

 7月6日 7時起床 海には船はない。扉を開けるとすぐに痩せ犬がやって来て、朝の挨拶をした。キサナドゥに朝食をとりに行くと日本人が二人いた。長話しの末、写真家の渡辺さんと漁師村へ足を運んだ。椰子の葉と竹だけでできた貧しい家の続く村だが、人の表情は明るい。大きな木の下で休んでいるとココヤシのジュースをくれる村人がいた。どこにも自然に溶け込んだ生活がある。どうかすると風ひとつで飛ばされる家、しかし、たくましくおおらかな人々、そんな写真をとりたくて後藤さんはインドにやってきた。

 昼食後クリシュナ君とも御別れし、小林さんという日本人のいる宿を訪ねた。ドイツとフランスの女性もいて素麺やグリーンティなど頂ながらしばし談笑。しかし日本人というレッテルを感じ、なんとなく嫌だった。

 宿を例の行商達に囲まれて出る。駅では昨日の学生が電卓と時計を売れとうるさい。いざとなればインドの安時計と取り替えても良かったが、ああだこうだとあっちも値切るし、必需品の時計でもあるし振り切った。 
  18時5分発の特急は、めずらしく時間通りに出た。最後の訪問地カルカッタへ向かう。夜、横になる前に車窓から見た風景は、きらめくばかりの星空と共に、ネオンのごとく沢山の蛍が飛び交い、遥か遠く雷光が光り、まるでシネマのようだった。

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