第23話 ほとけの心よありがとう

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  6月26日 6時起床 表通りに面しているので朝のうるさいこと!ベッドの硬さで体も痛い。曇り空なので幾分涼しいのがうれしい。駅で朝食を済ませる。ブッダガヤに向かう前に次の切符を買いに行く。窓口は例のごとくヒンディ語の表示なのでちんぷんかんぷん。エンクワイアリー(窓口案内)が無いので嫌な予感の観光案内所へ行く。またしても「私が買ってやろう!」ときた。「教えたんだから5Reくれ!」「イヤッ、教えるのがあなたの仕事だ」とつっぱねた。

 11時半 マンゴウの昼食後、ホテルを出てリキシャでバス停まで行く。そこにタンガー(馬車)の乗合が来た。二人で5Reとバスより高いが風情があるので乗り込んだ。僕らの隣には新婚の2人がいた。新婦はスカーフをばっさりかぶり顔を全然見せない。小さな村をいくつか過ぎ、のどかな風景をゆられて眺めた。なにか郷愁をさそう。

 2時にはブッダガヤに着いた。暑い中、安ホテルを探して歩き回る。裕子は長旅の疲れも出てか、「早く宿を決めてよ!」と冷たく僕に当たった。「そんな言い方ないだろ」と、しばし冷やかな空気。炎天下、遠い国の空、言い合いしていたら大変なことだ。僕も財布ばかり気にして、裕子の疲れを二の次にしていたようだ。仏のはからいか二人は何かを感じ、共に深ぁーく反省した。夫婦助け合いが大切だ。旅(仏)は夫婦の絆を強くしてくれた。おかげで、ひと部屋6Reの宿を見つけた。近くにはなつかしのモモ(チベッタンぎょうざ)も食べれる食堂があった。その名もBUDHIレストラン。モモは前日予約との事。チョウチョウ(焼きうどん)を食べる。懐かしい味にほっとした。満腹でさらに円満とあいなる。

大塔

 五十二mの大塔を見に行く。四大仏跡を見てきたが、ここが一番ブッダを大切に奉られている様で立派だ。今からおよそ二千五百年前に生まれたゴータマ・シッダール。解脱の道を求めて、世俗の生活を捨て苦行の末、ここの大きな菩提樹の木の下で覚りを得たのだ。裸足で石畳の境内にはいる。その菩提樹の下には金剛座が在り、現実の人であったブッダの面影が忍べる。(今年、仏教とヒンディの信者が衝突したとの報道があった。大丈夫だろうか?)

 外に出ると、それなりに観光客目当ての土産屋もいて日本語で話しかけてうるさい。「さかさま、さかさま」は御釈迦様の素焼の置物。「みちゅめ」は3ッ目(菩提樹のじゅずの種類らしい。ひと頃は「阿佐ヶ谷、千駄ヶ谷、ブッダガヤ」とみんな駄じゃれを言っていたらしい。ゴータマ・ラッシーショップでおいしいラッシーをいただき、一件落着の1日でした。

 6月27日 雲が厚く涼しい。レストランでパンケーキとオムレツを食べる。

仏陀が修行した前正覚山

 断食でやつれたブッダに乳がゆを捧げた女、スジャータの村に出かけた。枯れた川を渡る手前でおかしな日本語を話すインドの青年が着いてきて案内を始めた。人は良さそう。スジャータの塚に3人座る。向こうに前正覚山が見える。はるかに緑の畑が広がり、背の高い椰子の木が続く。美しい。どこか日本の田舎にも似ている。インドは平和な国のようだが、人々はいつも怒鳴り合っている。平気で殴ったり、口論の末ライフルを突き出す光景もあった。だけど、黙々と働く人、食堂のまかない人、水を汲む女、年老いた駅の荷物運び。餌を探す犬やヤギ、牛。木や花や風や大地。そんなもの言わぬものがとても好きになる。『幸福が彼らの上にいっぱい届くように』と裕子も僕も思った。青年とも握手をして別れた。


スジャータの沐浴池には蓮の花が

 帰りに大理石の小さなブッダや数珠を買う。銀行に換金に行くとストライキ中だった。

 昼食はモモを食べた。すごくおいしい。腹一杯で昼寝した。昼下がりには手紙を書いたりしてゆったり過ごす。

 6月28日 6時起床 今日も涼しい。朝食後はぶらぶら散歩に出た。大塔の近くには池があってロータス(はす)の花がきれいに咲いていた。菩提樹の葉を数枚もらい記念にした。芝生の庭で裸足になってのんびり過ごす。

 陽が出てきて暑くなる。ひとりでタイや日本の寺を見学にいった。タイの仏様はすらっとスマートで立派なものだった。建物の飾りも色も対照的な日本の寺は静かで落ち着いている。「やっぱりいいなぁ」と感じてしまう。博物館を見て帰る。

 午後にはインド人が訪ねてきた。日本の友達への手紙を書いてくれと言うことで、代筆をしてあげた。いろんな形で日本との交流があることはいいことだ。

スジャータの塚にて

 3時半 雨がすごく降ってきた。雨季本番か?雨を眺めながら荷物をまとめる。

 4時半タンガーにてガヤにもどる。夕食をとり23時発の汽車までのんびり過ごす。汽車は2時間も遅れてきた。乗るときの騒ぎはひどいものだった。

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