第22話 インド屈指の聖地ヴァラナシ(ベナレス)

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  6月24日 6時起床 夜の熱さに5〜6度シャワーを浴びた。インドの6月は雨季に入る月で、熱い時期なのだ。ルームサービスのチャイを飲み、のんびり今日の計画を練った。朝食は駅のレストランでセット(5Re=百二十五円)を頼んだがなかなかいける。

 9時 観光に出る前に明日の切符を買いに窓口へ行く。観光案内所に行くと係の男が「今はすごい混雑だから私が買ってあげよう。」と親切。背の高い彼に着いて行くと、何の事はない、行列の1番前まで割り込んで行ってしまった。おつりと切符を渡してもらい「ありがとー」。『楽したなぁー』と喜んで人混みを抜けた。しかし手元の切符を見ると計算が合わない。10Re少ない。1日あたり50Reで旅する僕たちには見逃せない。観光案内所に戻りさっきの男を捕まえる。はじめ男はしらをきっていたが、僕が腕をつかみ「駅長の処へこい」と怒鳴ると、男も回りを気にしてか、そっと10Re返してくれた。

 リキシャをつかまえ、聖河ガンガー(ガンジス川)の流れと沐浴の風景を見に出かける。乗る時は3Reと言ったのに降りる時には「ひとり3Re、二人で6Reよこせ」ときた。まったく、こんな事の連続だ。もちろん3Reで済ます。・・・めげてはいけない!

両替屋

 ガート(沐浴場)の入口には喜捨を待つ人が両側にずらっと座っている。テーブルに1パイサの山を作って喜捨のための両替をする人もいる。裕福なインド人はそこで両替して、片っ端から恵んで行く。ガートでは男はみな腰布ひとつで水につかっている。何か唱えながら頭の先まで水につけたり口の中まで洗う人もいる。赤子を抱く母親もサリーのまま水につかっている。水は濁っていて汚い。薄く油まで浮いている。しかしヒィンディにとっては聖なる川、聖なる水なのだ。あまりの熱さも手伝ってか、僕も思わずパンツひとつになって子供達と一緒に水遊びしてしまった。川向こうの中州では屍を焼く黒い煙が幾筋も上がっていた。


一番左の白いのが私
40°の気温なので気分はいい

 ホテルのレストランで久々に中華を食べる。午後はツアーのバスに乗り観光する。対岸に見えたラームナガル城と博物館。そして仏陀がはじめて説法した地サールナート。ここには中国やチベット、ビルマ等の仏教国の寺院があちこちに建てられている。大きな仏塔にはチベットの信者がお参りしていた。しかし日本の東大寺のような観光での賑わいは無い。とても静かなのが、かえって心にしみる。遥か遠く日本の心の起源のひとつにたどり着いた感がした。

サールナート
仏塔は昔 金色に輝いていたという

 今夜も快適な駅の宿泊所に泊まる。リュックの中の体温計は四〇度を示していた。

 6月25日 5時半起床 昨夜は夜どうし駅前で楽団が騒いでいた。朝から蒸し暑い。朝食後、ガートをぶらつく。結婚シーズンなのか花婿花嫁を取り囲み幾組かの集団がある。道では何かのデモか、騒がしく行列が行く。マンゴゥジュースやラッシーを飲み歩く。

 4時 ガヤ行きの急行列車を待つ。仏陀が悟りを開いた地ブッダガヤが目的地だ。待てども汽車はなかなか来ない。聞くと掲示板に反して隣のホームから目的の汽車が時刻どうり出てしまったらしい。「ちきしょー!」と怒りがあふれ、次第に力が抜けた。途方に暮れる。しかし3時間後に別の汽車が来るとの事、ほっとしてホームで待つことにする。さて、僕らが椅子に座っている処のすぐ横で、ぼろぎれをかぶって寝ている人がいた。蝿も飛んできてうるさい。すると4人の青年がきて寝ている人を取り囲んだ。よく見たら死体だった。ひとりの青年が皆に怒鳴られたり殴られたりしながら、荷物のように引きずって行った。ヒィンディにとって、ヴァラナシで死ぬことが何よりの望みと聞く。死期を感じた男がやっとの事でこの駅までやって来たのだろう。しかし貧しい人は荼毘に付す薪も少なく生焼けのまま川に流される。

 ガヤには夜遅く着く。ほんの少しの決断の遅れで最後の駅の宿泊室を他の家族にとられてしまった。裕子にぶーぶー言われ真夜中の駅を出る。安宿とだけ指示してリキシャに連れられて行く。蚊がうるさくベッドの硬いレストハウスに泊まる。

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