第18話 ラーマさんちにホームステイ

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  6月9日 目覚めてからの1時間、車窓からの風景はほとんど砂の平野だ。いくらか集落が現れ、街になるとジョドプールの駅だった。6時半、ラーマさんに連れられ、オートリキシャに乗り彼の家へ行く。ちょっとした住宅街で世田谷か杉並の観がある。玄関が開くとぽちゃっとした美しい奥さん(アルカさん)が出てきた。聞けば新婚ホヤホヤ。4人で楽しく、おいしいブレックファストをいただいた。手作りのカスタードプリンは特にグッドでした。貸し家だが間取りはキッチンと6畳ほどのダイニング、広いリビング、8畳ほどの二人のベッドルーム、ゲストルームも1室あって、それぞれにバスルームが付いている2階建ての家だ。英国の生活形態を受け継いでる。しかしさすがにテレビやカメラも持ってはいない。質素だ。とは言っても掃除、料理、雑用は二人の使用人が出入りしていて奥様家業は楽そうだ。

ラーマさんちの屋上にて

 二人は僕たちの持ち物に興味があるらしく、アルカさんもよく部屋にのぞきに来た。おかしなことに、衣類をまとめるために持ってきた良くあるナイロンの風呂敷がえらく気に入ってしまっったらしい。プレゼントするとスカーフにしてみたりしてニコニコ。代わりにきれいなインド綿のあまり布などを頂いた。ラーマさんは寝袋をほしがったので安く譲った。「写真も撮って!」と、着替えてきては、まじめに二人ポーズを付ける。

 ラーマさんはほんの1時間ほど会社に行ったようだったがすぐ帰ってきた。あっと言う間に昼も過ぎ、夕食は日本のてんぷらをつくってあげようと言うことになった。ラーマさんのバイクに乗り買い物にでかけた。じゃがいも、なす、たまねぎ、ヤギ肉がそろった。ヒンズー教は牛、豚は食べないのだ。トマトケチャップとソースでたれを作って食べたらなかなかの好評。そこにラーマさんのお兄さんも遊びに来た。席を屋上に移しビールも買ってきてもらい楽しい宴会となった。夜は屋上にベッドを運んでくれて星を見ながらのオープンベッド。ロマンチックな夜でした。

 6月10日 涼しく快適に眠れた。日の出前の空のなんと美しいことか!朝食後、アルカさんに教えられた名所めぐりに出かけた。ツーリストオフィスで地図をもらうと、さすが外には待ってましたとばかりリキシャマン!1日35Reでいいと言うオートリキシャに乗る。まずは小山の上にある城へ。

そびえる城 城内は豪華絢爛

 フォート(城)は立派な城壁で囲まれていて、中は豪華絢爛なマハラジャの生活を彷彿とさせる部屋が続く。金銀宝石をふんだんに使い、細かい細工もこれでもかと言う感じ。外の光を受けてきらめくモザイク調のステンドグラス。天井を見上げると海の底のような感じさえするガラス玉の群れ。夜のろうそくの光を受けてきらめく星の様な天井を王様は眺めて寝たのでしょうか。慣れ慣れしいガイドが写真を撮るたびに、裕子の肩に手を掛けたのが玉に傷。

 総大理石のアスワンターラ邸。リスもいたマンドレ公園。そして5つ星に輝く、王女の城だったウマッドバーバン・パレス・ホテル。インテリアも最高にすてきで、よれよれの僕たちの姿で良く入れてくれたと思うほどだった。久々にレストランで上品に食事をした。

 街にもどると、例のごとくリキシャマンは「35Reじゃ たんない!」などと言い出したが、相手にせず背を向けた。

 夕方はアルカさんの父や叔父さん、兄弟も集まりティー・パーティーとなる。アメリカの人と文通してる妹もいて、英語の手紙を書いてあげたり、日本語を教えたり、楽しく過ごす。夕食時はさらに興に乗って日本の歌を歌ったり踊ったりと盛り上がった。明日の誘いに答え、屋上のベッドに入ったのは12時近かった。

ご親戚が集まってパーティとなった

 6月11日 夜の1時半ごろ、突然の砂嵐。ものの10分で雷雨となり、恐ろしいほどの突風。みんなを起こし、寝室の引越しをする騒ぎがあった。体じゅう砂だらけになってしまった。

 そんなこんなで遅い朝食。今日でお別れと言うことで、その後アルカさんは裕子に赤い、いっちょうらのサリーを着せてくれることとなった。ひたいにティカを付けたらなんとインド美人に!(馬子にも衣装か?)サリーは少しお腹が見えるが、そこがまたいい!アルカさんも青のサリーを着て「はいポーズ」

サリーを着る裕子

 3時にはアルカさんの叔父さんの家へ行き、自家製のローズ・ジュースを頂きながら庭で雑談をした。家は持ち家、車も持っているお金持ちだ。ニュウトリノと言うおいしいお肉のような野菜の入ったカレーと炊き込みごはんをいただた。おいしい夕食だった。駅まで送ってもらいみんなとお別れ。「写真送ってね!あの時のは3枚お願いね!」と、アルカさんはしっかり者だ。楽しくて、充実してたけど引っ張り回されたり、慣れぬ英語もだいぶ使ってとても疲れた。夜行列車の窓から夜のジョドプールにお別れしたのでした。汽車は更に砂漠の街ジャイサルメールへと向うのであった。

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