5月26日 天気もよく気持ち良く、ひとり散歩に出た。壁のようなヒマラヤの山々が白くまぶしい。近くの山のふもとのハディンバ寺に着く。寺の欄間や柱のところにはミトゥナ像(男女混合像)が彫られてあった。そこに昔からあったのだろう、まったく違和感もなく、日本で言えば道祖人にでも当たるのか・・・針葉樹に囲まれ、苔むした境内は、まるで日本の神社にでもいるような気分にしてくれて落ち着く。
チベットの寺の近くにあったマントラを彫った石
マントラ(経)オン・マニ・ペメ・フム・・・
帰り道で小さな土産屋に寄ったら古いコインが置いてあった。分厚い銅のコインで、ヒンディ語の浮き彫りがしてある。どう見ても古そうで、ひとつずつの大きさ、文字ともに違うのが魅力的だった。いくらかと聞くと5Reだと言う。(1Re=35円)遊び心で手持ちの日本のコインを出し、交換しようと言うと、一個に付き20円ならOKと言うことになり、5個交換した。白く光る50円や百円玉はいらないと言うからおかしい。あとでデリーの博物館で偶然見つけたら、十四世紀前後のコインとわかりびっくり! 本物かなぁ?
さて、今日はマナリー最後の日。同宿の日本人とディナーパーティーを開く事になった。パン、野菜、チキンやヨーグルト、そしてインド唯一のビール「イーグルビール」を買ってきて、さっそくサラダやチキンスープをつくり乾杯した。日本人好みの味付けの料理は最高!(素材がいいのか?)ビールもうまい! 食べては語り、いい夜だった。
たまたま居た日本人でパーティー
インドではめずらしいビール(イーグル)を飲む うまい!
チベッタンブレッドもおいしい
5月27日 6時発ダラムシャーラー行きのバスに乗る。経由地のマンディに10時に着く。しかし、ここで車の修理だといって荷物を屋根に積んだままバスは何処かへ消えてしまった。何の連絡も無いまま4時間も足止め。荷物が無い人は後便に乗って行ってしまった。再出発の時には白人の3人とインド人3人が居るだけだった。途中の街で長髪の運転手に交代したが、これが凄いスピードですっ飛んで行く。危険なピンチヒッターで寝てもいられなかった。
バスの行く手は様々な事で阻まれる
8時15分 ダウン・ダラムシャーラーにつく。へとへとの腹ぺこ。客引きに連れられるままホテルに行くが、二軒は満室、一軒は凄く高い。結局、自分達で20Reの部屋を探し、荷物を置くとレストランに飛び込んだ。寝たのは11時過ぎになってしまった。
5月28日 6時半起床 大きなドーナツ状のチベッタンブレッドと紅茶で朝食。散歩に出ると、雪山はすぐそこだが、日の当たるところは実に暑い。手焼きのビスケット屋を見つけ、ココナッツビスケット(20P)とエッグビスケット(30P)を買う。これがまた凄くうまい。1Re=百P(パイサ) ホテルに戻ると、マネージャーが部屋にきて荷物の中から目ぼしい物を見つけては「売れ売れ」としつこい。折りたたみの傘や時計、寝袋と値段を言ってはみたが折り合わない。しかし4徳のナイフが百Reで売れてしまった。日本円では九百円だったので二千円はもうかった事になる。ウッシッシ 替わりに5Reのインドのナイフを買った。
12時発のバスで10q先のアップ・ダラムシャーラーに行く。中国の弾圧を逃れインドに定住したチベット人の心のささえ、ラマ教の法王ダライラマが住む山の小さな街だ。街中はエンジ色の袈裟をかけた子供から老人まで、沢山の僧がいる。街角では曼陀羅を前に信者に説教している。バス停近くに宿をとり、チベット料理を食べ歩く。食べることが何より楽しい。
さすがはダラムシャーラ
一般の人も集まり曼陀羅の勉強をしている
5月29日 マカロニをゆでて朝食。ダライラマの住居を見ようと、山道を歩いた。山には猿がいてにぎやかだ。不案内でそれらしい建物もあるが確信もなく帰る。標高は千七百メートル、小雨がぱらつき寒くなる。街でホットチョコレートを飲み温まる。
目の前のヒマラヤの向こうは中国だ
昼はフライドモモ、チョウチョウを腹いっぱい食べ昼寝をした。夕方改めて、ダライラマの家を目指すと、手にすすきを持った僧たちが沢山降りて来る。聞くとダライラマは留守のようだ。八百屋でりんごを買って帰る。4個で5Re。大きくてとてもおいしかった。
5月30日 右足の付け根の筋を違えたのか、ひどく痛い。そろりそろりと外に出て、チベット寺を見学した。そして、先日の物売りの味を占めた僕たちは押売を始めた。Tシャツは20Reのチベットミラーと交換、ガスストーブと鍋を40Reで処分した。しかし、あとで考えると、チベッタンは堅実なので少々たたかれた感がした。とにかくここは小さな街で、ぐるぐると見て回っては食べたり昼寝をして過ごすしかない。りんごやプラムもおいしい。
5月31日 足の具合いは良くなった。YAKレストランにてサンサクを食べる。(幅が3pもある、ひもかわのうどんの様なもの)うまい!
ダウンに降りる。デリー行きの切符も手にいれ、荷物をレストランに預けて街をぶらつく。日本人男性とドイツ人女性のカップルと出会い話が弾む。ビスケットやチベット料理の事・・・つきる所やはり食べ物の話。男の人はもう10年も日本に帰っておらず、日本語がたどたどしく「アッチャー」とばかりあいずちを打つ。(アッチャーとはインドの言葉で、そうそう、はい、なるほどとかの意味でよく使う)Mrアッチャー氏達とは、一ヶ月半先の帰りの飛行機で偶然会うこととなる。
一時間もかけて作るスペシャルモモなどチベット料理を堪能し、5時の夜行バスでデリーへと向かう。