第10話 秘境を抜けるとそこはインドだった

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  5月4日 5時起床 6時バスに荷物を載せて出発を待っていると、見た事のあるカップル。カトマンズで最初の宿ストーンロッジの隣室にいた人だった。三ヶ月も肝炎で日本にも帰れずにいた彼が、少しは良くなったのだろう。

 バスは沢山の人を載せて山の奥に入って行った。僕たちの前に座っているヒッピー風の白人カップルは実に荷物が少なく、小さ目のナップザックひとつだけだ。旅はああ有りたいと思ったが、でも本当に足りてんのかしら?  

 わお!外の景色は凄い!百mや二百mはある急な渓谷の道だ。遥か向こうの山は等高線のように、段々畑になっていて、その上に粗末な家がポツンとある。いったいどうやって生活してるのか?人間って逞しいなぁ。途中のジャングルの中でふとバスが止まる。どこから湧くのか、カラフルな民族衣装の女子供が集まり、荷物を受け取ったりしている。バスは陸の孤島を行く船なのだ。

ジャングルの中で集まった人たち

 4時半、バイラワ着 ここはインドへの通過点でこれと言った街ではないが、なるほど定食のカレーが、今までで1番辛く、インドに近いぞ!の感。しかし、その辛さは、僕たちに一抹の不安を与えるものだった。天井扇のある22Reの宿に泊まる。
 5月5日 8時発のミニバスでブッダの生誕地ルンビニーへ。バスはときどき運転手の気分で、何でもない所で留まり、何するでなくみんなも待っている。1時間半程でルンビニーに着いた。えっここが?っと思うほど何もない。広い公園の中に塚があって、ブッダが生まれたときの石の像がある。相当古くてよく解らない。母親のマヤの像もあるが、ほとんどのっぺりしていて金箔が貼って有った。なんとその右隣には、日本のだれかの寄贈による誕生仏が置いて有った。近くにはチベット寺など2つ程の寺院と小さな集落があるだけだ。仏教国日本なら、たちまち観光化され、ぶっだ饅頭、ぶっだ煎餅と御土産屋さんがひしめき、聖地の観も何処へやらだろう。タバコ屋ほどの銀行で換金。僕たちの出した100$札を2人だけの行員が、いやと言うほどひっくりかえし調べていた。(現金の換金は時間がかかる)


仏陀生誕の地 ルンビニー
そこにはこんなストゥーパがあるだけだった

仏陀の母マーヤ像がまつられていた。

 ルンビニーからの帰りのバスを待つ凄い人だかり。しかし何故か車掌さんは僕たちをピックアップ、席に座らせてくれました。バスにはもうこれ以上人が乗れないほどのり、更に屋根の上にも横にもぶら下がりながら人が乗りました。確実にお金を払う御客を優先してくれたようだ。

 5月6日 いよいよインドへ。国境の町スリナウまでバスで行き、てくてく歩き、ここが国境か?と思われるほど簡単なオフィスで手続き。インド側に着くと、早速出てきたのが、闇両替やコーラの押売、人だかりが凄くて、最悪の気分。ここからバスで2時間半、鉄道のある町ゴーラクプルへ着く。ロッジに落ち着き、インドルピーを換金しに町を歩く。ここで初めて、マンゴージュースの売店を見つけ、いただく。ドロッとしていて味が濃くて甘くて香り高く・・・ものすごいおいしさ!し・あ・わ・せ。さとうきびのジュースもなかなかでした。


国境には簡単な門があるだけ
人々は自由に行き来している

 ラクナウまでの切符の予約に行くが、ヒンディ語だけの表示で、ちんぷんかんぷん。凄い混雑、つっけんどんの駅員、当日券を買わされ払い戻し、今日は切符が買えなかった。作戦練り直しだ!

 豪華にホテルYAKで夕食。チキンカレー、エッグカレーを食べた。ご飯もふっくら、とてもおいしかった。とにかく{凄い}の形容詞が多く付くインドだ!

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