第4話 洗礼を受ける(ネパール)      

前のページ 次のページ目次へ

 4月9日 朝早く起きて、日の出を見ながらラトナ公園まで散歩する。朝はセーターを着ていても寒いほどである。(カトマンズは標高1400m)朝食にチャイヤでチャイ(ミルクティー)とナン(揚げパン)、ゆで卵を食べる。ネパールの人もほとんどがこのような質素な朝食で、パンにはジャムもバターも付けずに済ませている。さて、今日もジバン氏は来る気配もなく、二人ぶらぶらと観光に出かけた。土産屋の多いタメル地区を冷やかして歩くと、結構ものの値段を負けさせられる事が解った。どんな買物でも一度は「サスタキジー、マハンゴチャ」(負けて下さいよ、高いですよ)と言ってみることの必要性を感じた。レストランでバニラミルクシェーク、アップルパイ、ラッシー(ヨーグルトドリンク)等を食べ腹いっぱいになる。まさかネパールで、しかもおいしくってボリュームのあるアップルパイが食べれるなんて、!?。

 そして、見て歩き食べて歩きの夕食後。コットンの手織のズボンを買おうと歩き回っていると・・・・不意に襲った便意!『何がいけなかったのだろう?』とにかく急いでロッジに帰ろうとしたが、その時に限って裕子の勘を頼って道を進んでしまい、行けども行けども見知らぬ路地。やっと見覚えのある通りに出たときは、すでに限界に近く『ええぃ、暗がりでやっちまえ! こっちの人はみんなそうなんだから』と、思えども人が結構いる。「もう少し、あともう少し」と、裕子に励まされ、見えてきました我がロッジ! 跳んでつかんだ1階のトイレの取っ手。がたがた押したが開かない!扉が壊れているのかと、おもいっきり開けたら、ネパール人の先客。『ノックぐらい返してよ!』『神さまー』とばかり2階へ行くとここも先客。3階はトイレが見つからない。結局、4階のトイレに駆け込むことすでに遅く、運の悪いことを力なく悲しんだのでした。

 4月10日 朝の体調も良かったので、カトマンズから5qの古都パタンへ行く。ここはさすがにすばらしい建築物が多い。キョロキョロと歩いていると、出ました!押し売りガイド。 勝手に僕たちの見ている建物を変な英語で説明し、みやげ物屋へ連れて行き、ここは安いとばかりにすすめるのです。たまたま意に添うものがあったので、55Reの買物をすると・・・見てしまったのです。店のオジさんから10Reもらうのを・・・。説明もうるさいし、次々引っ張るので、さよならしたら、「ガイド料20Reよこせ!」・「ノー」・・・ついには口論になり、人だかりが出来てきたが、大きな声とジェスチャーで何とか切り抜ける。石彫の神様、古い木造の寺院、まるで京都を歩いている感覚にも似て、時間の壁を越えたようなひと時だった。途中動物園にも寄り、ぎゅうぎゅう詰めのバスに乗り帰る。(バス代1.25Re)

パタンでの写真

スルジェ(太陽)紋のある家の前にて

動物園の草むしりをして働く子供達
袋には草が詰まっている。
木の葉のついてる小枝は
ほうき代わりだ



寺院の前で
話に夢中なのは
青空テーラー(ミシン縫い)

様々な形の寺院が見える

 夕食後、どうも日本から持ってきた服は、ここでは不自然に感じてきたので、コットンのネパール服の上下を50Reでかう。

 4月11日 夜中に2度もどし、下痢。朝38度の熱。昨日の夕食のカリフラワーとポテトのカレーがいけなかったのか?寝冷えによる風邪のためか?裕子にみかんやパン、ヨーグルトを買ってきてもらい、一日寝込むことになる。日本に手紙を出そうと、裕子は郵便局へ行く。20Re札だしておつり8.25Re。『こんなに高いのかな?』と思いながらも、スタンプ押してもらい帰ってきた。どうも腑に落ちなくて、人に聞くと、エアメールで1.25Reだと言われ、あぜん。10Reボラれたらしい。悔しがる裕子。しかしここではだまされた人が悪い。ここは日本とは違う。郵便局員とて、信用してはいけないのだ。後で解ったが、みかんもぼられていたようだ。日本人は定価で買うことに慣れすぎていて、言われた値段をそのまま受け入れる。ここではあらゆる買物に、値段の交渉が必要だと痛感した。以後財布は私が管理することにする。夜、持参のとろろ昆布を食べる。


前のページ
次のページ目次へ