第2話 貧乏旅行者はどこでも泊まる!(タイ)

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  4月5日15時50分 PK761便は成田を離陸した。ヘッドホーンからは中東の音楽、機内はすでに日本語の通用しない世界だ。上空からのとても幻想的な夕日と雲の流れを見て、遥かな旅の行く道の期待と不安に胸の中は渦巻いていた。人はまったく違った言葉や人種、自然に振れた時どう対応するのだろう?日本上空の夕暮れ 雲海

 19時30分 マニラにてトランジット。機外に出て、肌の色の濃い、視線の強い人の中を抜けトイレに行く。モスグリーンの小さいが背の高い小便器に向くと、後ろの用もなく立ちすくむ人の陰におびえ、隣に用足しにきた人の背の高さにもびくびくしながら、早々と機内へ戻った。20時40分 美しいマニラの街の夜景の上を一路、タイへと飛行した。

 0時20分(現地タイム) タイのバンコクに着く。軍隊の制服のような空港の係員の聞き取れぬ英語を何とかかわし、真夜中のロビーに出た。夜中の外国の街をウロウロするほど不安な事もないので、ロビーのトイレの前にシーツと寝袋を出して、記念すべき第一夜を迎えたのであった。(貧乏旅行者はどこでも寝る覚悟が必要)

 4月6日 人の足音に起こされ、裕子はさっそく蚊に刺されたのをボリボリしながら、ふたりはトイレで顔を洗ったのでした。驚いたのはロビーを出たときの外の暑さ!朝から凄い蒸し暑さで、その中をドアも取れたバスに乗り、街へと向かった。ちなみにバスの乗客は、勝手に乗り降りする人もいるようで、水牛が田畑を耕す外ののどかな風景とはうらはらに、いつ振り落とされぬやの走りっぷり。そして、街の中は凄い排気ガス。ルールもへったくれもなく、バイクや車が走り回っている。圧倒されるばかりの二人の貧乏旅行者は、明星という名のホテルを見つけ、ほっとしたのです。が、しかし部屋の暗さに目がなれて、眺めてみれば、マットの綿がボロボロと破れ目から出ているし、ドアの鍵もない。ヤモリが辺りを歩き回り、トイレはと言うと・・・これがあの本当の手洗い式。幾らかの予備知識はあっても、面白さを越えて不安が募るのでした。さらに昼の3時間、チャイナタウンを歩くと、空気の悪さと暑さに、ふたりはもうほとんど病気。忍者ハットリ君の漫画を読んでいたお菓子屋の少年も、カメムシのにおいにも似たヌードル(ラーメン)も、実は白昼夢ではなかったのかと思われるほど疲れたのでした。ふーーー(タイでジュウスを買うと、ビンの中身を氷入りのビニール袋にいれてストロウを挿してくれる。この冷たさだけが救いだった。)お菓子屋の少年(ハットリ君を読んでいた)

 4月7日 蚊とナンキンムシにたたられて、起床。バミナム(例のラーメン)を食べ、バスに乗り空港へ。建物の中は冷房が効いていて天国のよう!

 16時10分 ロイヤルネパール航空RA402便にてネパールへ離陸。飛行機は横に4座席の小さな927型。加速時に、コップやビンががらがらと通路を転がるのにはびっくり。サービスのビールを頂いていると、隣のジバンという人(ネパール人)と親しくなり、明日は彼が案内をしてくれると言うことになった。一時間もすると窓の外は夕暮れ、箱庭のようなネパールの風景が見えてきた。

 ・バス賃一人3.5B(バーツ)・ホテル1泊2人で50B・バミナム10B  ・1$=22.9B  1B(バーツ)は約10円

バンコク
中国人街の寺

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