第1話 インドはやっぱり夢なのか

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  かねてより自然指向の二人は、いつか子供を育てるならば、自然豊かな土地でと考えていた。ましてインドに3カ月も行こうと言うとき、当時1カ月7万円の家賃を留守中も払うことは大きな負担であった。二人の稼ぎではとてもそこまではできないし・・・やはりインドは遠いのかと思ったが、インドの旅も大きな決意、脱都会もこの際と決意をして、多摩や秩父に空き家を求めての週末旅行も始まった。幸運にもインドへの出発予定の3カ月前には、秩父の山奥に空き家を借りることができ、真冬の秩父路を家の修復に毎週新宿から通うこととなった。時には寝袋を担いで、はんごうで食事を作り・・・気分はすでにインドでヒマラヤをたびするようだった。引越しも済ませた3月13日からは、さて色々な準備をしてはいたが、肝心の航空チケットはまだ僕たちの手元にはなかった。旅行会社の話では、出発の2・3日前に郵送するとの事だった。・・・しかし、出発日前日の4月4日になっても配達されず、とうとう出発の朝の電話では、上野のスカイライナーの改札前でお渡ししますとの事・・・・いよいよだまされたのか?インドは夢なのか?の気分だった。

 ところで、僕たちの旅の荷物はと言うと、インドへ3ヶ月と言うこともあって、沢山の胃腸薬・虫もひどいと聴いていたのでキンチョール・シーツや寝袋、おみやげには折り紙など。二人とも絵を書くのでスケッチブックや絵の具。写真のフィルムは12本。荷物はリュックにつめて金めの物はサイドバックにいれて、更にパスポート、トラベラーチェックなどは、腹巻のように肌に付けられる小物入れをつくった。裕子のにもつは6s、僕のは20s。用意万端ではあった。そんな荷物を担いで、さては上野に。・・・来ました来ました旅行会社の人が、ふーふーいいながら。夢はやっとの事でパキスタン航空の飛行機に乗り込むことが出来たのでした。


パスポートに押された印 1983.4.5出国の証だ

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