自転車での挑戦 日本一周

全て実家の川越市並木(南古谷)からの旅です。主な大きな旅を載せます。
宿泊は全てキャンプ(野宿)です。自炊道具も装備し食事も朝夕は自炊が多かったです。

中学3年生 日原鍾乳洞 単独
中学3年生 秩父(名栗、浦山、
小鹿野ようばけ、長瀞)
友人3人で実行 1972年 2泊3日
高校1年生 房総半島1周 単独7日間 1973
高校2年生 東北1周 単独23日間 1974
高校3年生 木曽、飛騨、能登、北陸、
関西、伊勢、鎌倉、東海道
単独19日間 1975(昭和50年)7/24〜8/11
大学1年 北海道(東北往復通過) 単独32日間 1976(昭和51年)7/15〜8/25
大学2年 四国、九州、山陰、山陽、
(東海道往復通過)
単独36日間 1977(昭和52年)
大学4年 川越〜日光、男体山 単独バックパッキング徒歩 1979(昭和54年)10日間
沖縄離島巡り 単独バックパッキング徒歩 1979(昭和54年)60日間
以後所帯を持ってからの旅は東北道の高速も未完だったが陸路で青森へ行き往復軽自動車で行った「北海道」
1983年 夫婦二人でバックパッキングの貧乏旅行「インド・ネパール100日の旅
1988年 子供4人と全財産30万円持って3ヶ月暮らした「沖縄ヤンバル避寒移住3ヶ月×2回」など
東京、秩父郡小鹿野町を起点にしてます。
別ページをご覧下さい。 その後の海外免許証レンタカーで行くカナダ2007、オーストラリア2008もどうぞ

これは北海道1周から帰還した時の写真です。拾ったガラスの浮き球がみやげでした。
帽子とベルトやサイドバックは手製の革細工です。
バイトで買ったブリジストンの自転車を改造。
タイヤは650Bという太いタイヤを履いてましたが、北海道などの砂利道ではパンクは当たり前。
太めのスポークも数本折れました。いつも部品の予備と修理道具だけは携行しておりました。
東北や東海道通過の時はこの重装備でも1日200qは走りましたので自動車の運転手には驚かれたものです。
全ての旅費は1年通じての牛乳配達のバイトやゴルフキャディのバイトによってまかないました。
とは言え全て野宿、自炊を主にして1日1000円が目標の旅でしたので予算は充分いつもおつりが来ました。


1976年8月宗谷岬にて


見たくて知りたくて自転車で日本一周  田島昭泉

 私は10代に自転車で日本を一周しました。もちろん学生だったので夏休みを利用した旅の連続です。
 日帰りですが中3で最初に長距離を走ったのが日原鍾乳洞でした。中3で秩父へ2泊3日。これ以降、一番意見の合う単独の旅となり、高校1年生の時に房総半島1周(7日間)。
高2の時に東北1周(23日間)。高3の時に木曽、飛騨、能登、北陸、関西、伊勢、東海道(19日間)。大学1年の時に北海道一周(32日間)。大学2年の時に四国、九州、山陰、山陽(36日間)。以上で約2万q走破しました。
 なぜそんな旅好きになったのでしょうか。家は南古谷で床屋さんです。日曜日が両親お仕事ですので出かけられません。夏休みの月曜日だけは登山や潮干狩りなど連れて行ってもらったのがなにより楽しかった。家族で飯ごう炊さんしたのも良い経験でした。
 なぜ自転車を利用したのか。実は中学2年生の時に放置自転車を警察からもらい受けたのがきっかけです。15段変速のドロップハンドルでした。うれしくて毎日自転車で走り回っていました。さらに中学生になって牛乳配達もしていたので脚力も自ずと付いていました。自転車は上福岡の自転車店で私が希望するギアやタイヤに変更してもらい、荷台も溶接で改造にも応えて下さったので助かりました。お金もかからずに何処にでも行ける自転車は私にとって夢の移動手段になったのです。
 自転車で旅をする私のスタイルは自炊と野宿が基本です。2万q走っても民宿等一つも利用しませんでした。時には無住のお寺や神社、橋の下、駅のホームなども利用しました。昼食だけは食堂を利用しましたが山の中に入るときは自炊でした。ご厚意で食事を戴いたこともあります。使える金額も一日1000円と決めていました。お風呂は温泉のあるところで利用し、時には川での行水で済ませました。
 北海道では車が横に来て走りながら「あんちゃんこれ食えや」とリンゴを手渡してくれた事がありました。また、「あんちゃんトラックに乗せてやるよ」と言われたことがよくありましたが自転車で旅するのが目的なのでお断りしました。北海道の人は長い距離を自転車で走っているのを見ると気の毒になるそうです。
 福島県では野宿していると農家のおばさんが「桃食べな。熟れて出荷できないものだよ」と桃を下さいました。この時の桃ほど甘くて美味しい桃は無いと言うほど美味しかったです。山口県では採りたてのウナギを焼いておかずにしなさいと戴いたこともありました。他にもテントを張っているとカレーライスを持ってきて下さったり、多くのご厚意に感謝の旅でした。実は私は大変な食わず嫌いの人間だったのですが自転車旅行をすることで自然と身体が要求したのか、あらゆるものを食べることができるようになりました。なんでこんな美味しいものを食えなかったんだと思ったものです。
 沢山の面白い人とも出会います。一年かけてリヤカーで日本一周している人が居ました。彼の宿はリヤカーの中でした。乳母車を押して四国を一周しているおばさんも居ました。生活用品が全てそこに入っていました。伊勢参りを江戸時代のように体験したくて夫婦で東海道を歩いて往復している人も居ました。大井川の川辺で隣どうしにテントを張って夜通し話をしました。
神社仏閣、観光名所とあらゆる道草をしてのひとり旅は私の興味を何度も満足させてくれました。最後は自転車を捨てて川越から日光までをバックパッキングの徒歩で10日間実施したり、 沖縄離島巡りも60日間実施しました。これを以て社会人になる前に日本の最東西南北を制覇しました。
以後所帯を持ってからはインド・ネパール100日の旅などへ続き、今も国内外国と旅を楽しんでおります。
 旅は多くの環境を直に見て文化に触れて人生の多くの糧になりました。旅に歳は無いと思います。これからも旅を楽しんで行きたいと思います。

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