1921(大正10)年 | 広島県安芸郡に生まれる。 | |
1942(昭和17)年 | 旧海軍に入隊し、「戦艦大和」に乗組む。 | |
1945(昭和20)年 | 「大和」鹿児島沖で撃沈されるも、その時横須賀砲術学校に派遣され ていたため一死を免れて復員。 |
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1946(昭和21)年 | この頃より日本画に専念し、個展、出展活動を展開する。 広島市の「中国新聞社」の各紙連載小説や『譚海』などの挿絵執筆。 また「小学生新聞」に自作絵物語「少年柔道王」を連載。 |
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1955(昭和30)年 | 上京して日本画修行。挿絵や街頭紙芝居などを描いて生計を立てる。 | |
1957(昭和32)年 | 「講談社」の『なかよし』に「ふたりのロッテ」を発表。 | |
1958(昭和33)年 | 「講談社」の専属画家となる。『なかよし』に「ペスよおをふれ」の連載を 始める。 評判となり、読者から歌詞を募集して「キングレコード」より発売。 また、「ラジオ東京」で松島トモ子主演による連続ドラマとして放送される。 この間、漫画の人気調査で長谷川町子の「サザエさん」を抜いて三年連 続トップの座を占める。 |
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1961(昭和36)年 | フリー画家となり、小学館、集英社、その他の雑誌に精力的に作品を発 表する。 併せて成人誌や新聞等に劇画、コミック等多数執筆し、漫画家、挿絵画 家として不動の地位を占める。 |
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1982(昭和57)年 | 寄居町に転居。商業ベースの仕事を減じ、日本画や児童文学の絵に専念。 雅号は広保(こうほ)。 |
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1986(昭和61)年 | この頃より秩父の民話と伝説をテーマとした独特のタッチの絵を描く。 代表作として矢尾百貨店の月刊情報誌「いわざくら」に連載した「秩父の 民話と伝説」(155点)がある。 奈倉との繋がりができ小鹿野との縁が始まる。 |
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2005(平成17)年 | 呉市に開館した「海事歴史科学館」のために100号の大作「戦艦大和」 を描く。同館収蔵。 |
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2006(平成18)年 | 絶筆「ヤマトタケル」100号を完成する。続いて、秩父に取材した少年漫 画「走れ!ダンプ」の試作を描きはじめるも、未完のうちに9月1日逝去。 |
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2007(平成19)年 | 2月、小学館より「ペスよおをふれ」の復刻版が出版される。 | |