大政翼賛会とは
1940年 10月に第2次近衛文麿内閣によって,全ての政党を解散し、一国一党に再編して超党派の集団を組織したのが大政翼賛会です。
理想はナチスドイツだった。大政翼賛会の推薦を受けない議員が選挙に通ることはほとんど無理。議会において野党が消滅し、政府を批判する勢力が消えた。日本の議会政治はこれを持って終焉をむかえ、まもなく戦争への急な坂を転がって行くことになるのです。
選挙はがき (昭和十七年)1942年
当時は翼賛会が日本中を制し国会議員も県議会議員もそしてこのはがきのように小鹿野町議会議員も翼賛会として推薦された人だけが立候補できたと言える状況だった。
一文にあるように「大東亜戦完遂の為には一億一心、総力をあげて当たるべき時、一人の異端者も許さざる情勢と存ずるのであります」と状況は戦争一辺倒で反対者は許さない統制された選挙事情だったことがわかります。