おがの・地域ネットワーク事業 2024/10/21 田島昭泉メモ
私の村・群馬県上野村、そして小鹿野の未来 新しいネットワーク型社会をつくる |
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1.東京と上野村との二重生活を始めて半世紀 | 50年だそうです。 (私田島昭泉は小鹿野に越してきて40年...) |
2.上野村の変化について | あまり変わらない。人口は2500人から1100人へ。 その中のおよそ1/4の260人が移住者。1学年50人 森と共に暮らす村を目指した。森林組合作業班と村内請負会社で、天然林を生かした森林整備。 製材工場、木工産業の育成、キノコ栽培、 木質系ペレットの生産⇒ペレット発電と暖房⇒ 自然と村らしさを生かした観光開発⇒年間20万人の観光客 ●ペレット発電(バイオマス発電)では熱の20%しか利用できない。 しかしネットワークの中に調査世話する方がいて発電機はドイツ製を導入でき50%の利用率へ。 発電機を動かすために上野村の材質に合わせたソフトも移住者に専門家がいた。 さらにヒートポンプを活用し90%活用へ。 「地域エネルギーで生活したい」という大きな願いが上野村にある。 ●大皆伐は良くない。小規模の伐採で。森の形を崩さない。小型集材機を利用し効率化。 集成材を作る。森をよくするために切る。材木、建材、木工業へ。残りをペレット化工場へ。 60%が発電に活用される。 ●上野村では移住者と呼ぶのはやめよう。(私田島昭泉は40年前脱都会の人と呼ばれ、田舎暮らしの人となった。 その後作家活動していて転入作家と在住作家と呼ばれていたのが腑に落ちなくて一つになろうと思案して、 小鹿野画衆国展としてイベントを3年やった。秩父じゅうのあらゆる作家と展覧会をした。転入作家という言葉は消えた) |
3.外から見た小鹿野 | 自然とともに暮らし、他方で江戸の人々ともつながる事で独自の文化圏をつくり出した町。 フランスへ調査で20回も行ったがパリは面白くない。良い村は田舎にある。少人数でも独立していて自治がある。 6人という村もあった。 |
4.かつて人々は社会をどのようなものとしてとらえていたか | 自然と生者と死者、神仏が結び合ってつくられているのが社会という社会観。 日本の祭りはむしろ自治の仕組みと考えた方がよい。 奈倉って紙の里なんですよね。手を合わせたくなるといいですね。 桜の「さ」は神様のこと「くら」は家のこと。花が咲くと宴会するのではなく命の喜びに手を合わせなくてはいけない。 |
5.日本の地域と江戸時代 | 明治以降、次第に国に従、。県に従うようになり、地域の力が衰退していった。 |
6.地域産業における新規参入者の割合 | 新規参入のない産業は衰退する。移住者を飲み込み地域をつくる。 日本の社会は移住民を内包させた定住社会としてつくられた。 (私田島昭泉の住む奈倉は正に移住者と婿養子が多い。そしてその声を大切にする地域だと思う) |
7.今日の人々と「伝統回帰」 | コミュニティ=共同体、自然侵攻、神仏習合、伝統文化、手仕事等への関心が高まっている。 企業で働くことへの忌癖意識(私田島昭泉はたった1年しか企業に勤めなかったなぁ) 何かに貢献できる仕事を探す。 |
8.地域とは何か | 日本では自然と生者と死者、神仏がつくる社会。 集落を基盤にした自治社会であり、同時に様々なネットワークに支えられた社会 持続するものに価値をみいだすた時、地域は力を高める。 |
(質疑の中で「心」とはとの質問に、「心は胸のあたりにあると言われていた。しかし解剖しても心臓という臓器しかない。 脳かといえばありかもない。心は実は対面している人との間にあるのではないか。だから心は他人から見ることができる。 人と人との間にあるのが心。」と哲学者内田さんのお話にはNHKの心の時代を感じさせる瞬間でした。心は地球を、宇宙を包んでいるのかなぁと思いました。平和に思う心が世界を包みますように祈るばかりです。) |