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小鹿野では昭和19年2月1日午後1時に大火を出している。町の半分と言われる238戸焼失。山林では約25haを焼失。火の粉は井森にまで降り、灰は大宮郷にまで届いたとのことです。2月1日は小鹿野の防災記念日に指定された。
また、水不足状況を打開するための用水確保を目的として昭和25年から9か年の歳月をかけて県営かんがい排水事業により小鹿野用水路が造築されました。
ちなみに奈倉大火は明治16年。秩父事件はその翌年です。(奈倉年表参考)
8時3分30秒には8分団の積載車が現場到着しすぐ放水を始めた。 |
8時4分52秒には2陣の第7分団も放水はじめの伝達。 |
境内では第5,第9、第10分団が貯水槽や下からの中継作業 ここから火点へは100m |
6分団が貯水槽で145mを中継。 |
2分団はポンプで 200mを中継する。 |
第1分団は道路の消火栓から貯水槽へ125mの水をあげ 第2分団へ中継 |
第1分団が 一番下からの作業 消火栓へ接続 |
点検報告と講評 9時解散 大変ご苦労様でした。 |
誠に寒い中での訓練。 町民の付託に答えての 立派な訓練でした。 放水された水がすぐ凍るほどの寒さでした。 |
この日↓奈倉(第1分団)では
長い間働いてくれた火の見櫓 近く撤去となる。 そこで 第1支団第1分団 記念写真と成りました。 詳しくは奈倉HPへ |
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支線延長等による 消火訓練 |
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見学する人達 |
朝の気温はマイナス9〜10度。大変寒い中での訓練。ご苦労様です。
日影の地域で凍り付くような寒さでしたが立派な繰法でした。