若狭湾の原発めぐり

2015/12/6

若狭湾には原発が集中して造られた。 原発はもんじゅをいれて5カ所で14基。原発銀座と言われるゆえんです。さて、実際にはどんなことになっているのか原発を見に行きましょう。

12/5日昼の集会に参加するため、前夜の21時30分に秩父の家を出ました。新潟経由で行こうと思いましたが雪の心配が濃厚でしたので140号で雁坂トンネルを越えて中央高速で名神に向かうコースにしました。雁坂トンネルを出たところでは気温2度でした。22:35には道の駅みとみ。0:15には諏訪SA(ここまで172Km)。ここで朝まで寝ることとしました。寝袋を用意してあったので、もぐって寝ました。かなり寒い。

12/5(土)朝4:50起床。諏訪SAでうどんを食べて5:20に出発。道はすいていて順調。恵那峡PA6:45-7:00。お茶で一服。
賤ヶ岳SA8:30-9:00。お茶を飲んで鯖鮨を買う。0.0031μSv/h。

福井市10:00。市内で給油。この時点で514Km走行。宿に車を置き歩いて集会場所まで行くときに雨になった。風もあり寒い。

賤ヶ岳SAにあった
観光案内地図
ちゃんと
原発の位置も書いてある。

これほど観光地と
密着しているのかと
びっくりした。
現地を観るの事に
大きな興味がわいた。
もんじゅを廃炉に全国集会

主催者の中嶌哲演さん挨拶

鈴木達治郞さんと
伴英幸さんとの対談

集会決議
高浜原発の再稼働を
本気でとめる
全国集会

主催者の中嶌哲演さん
司会の神田香織さん
告訴団の武藤類子さん
沢山のメッセージをうかがえ
集会決議文を決議

その後、福井駅まで
パレード

集会とパレードが終了し福井駅周辺をぶらり散歩。駅中の食堂で味噌カツ定食を頂く。美味しかった。
その後、路面電車を乗り継いで旅館の近くまで行くことができた。女性の車掌さんが乗り換えなどを丁寧に説明してくれた。福井駅前では路面電車の延長工事もしていた。路面電車のある街の風景は味があって良い。
旅館近くのスーパーで飲み物やヨーグルトなどを買った。

12/6(日)7:00起床。朝食をとり、8:20出発。まずは敦賀原発に向かう。途中で休んだパーキングエリアからは対岸に敦賀原発が霞んで見えたが、約7-8kmとかなり近い。風に乗って放射能が飛んで来る方角だ。事前に読んだ本「悪性リンパ腫多発地帯の恐怖」明石昇二郎著の中で、1994年8月の現地敦賀原発周辺半径10Km戸別訪問アンケート調査の事が書かれているが、がん発生率が全国平均の4.61倍という高い発病率だということだ。

高速を降り敦賀市内を通過し美しい海岸線と浜沿いの漁村をいくつか通過した。
10:00敦賀原発のものものしい門の前を通り敦賀原発PRセンターへ着く(595Km)。館内から目の前に原発が見えたので撮影した。安全対策は完璧という内容の展示の数々。ビックリしたのは館内にある放射線モニターの数値が年間1ミリを超える数値だった。
10:20には施設を出る。この先には野鳥観察路があって双眼鏡を手にした人が居るほどのどかなところだった。
道を戻り敦賀原発の前で写真を撮ろうとしたら門の前にいた警備の人にとめられたので門の前からの撮影はやめた。戻る道は狭く車を止めて撮影に適した場所は無かった。

 
 ←まずは敦賀半島の原発へ

1994年夏の週刊誌主催で
大規模に実施された調査では
敦賀の10km圏内での悪性リンパ腫の発病率は
全国平均の4.61倍です。

対岸の越前市、南越前町から見える敦賀原発1号機。約7-8kmとかなり近い。

左が1号機、右が2号機。PR館より望む。右奥の白いのはふげん
1号機は日本最初の軽水炉です。また商用炉として最初に発電を開始した同じ日本原子力発電の東海発電所に続く2番目の商用発電所でもある。
日本で唯一沸騰水型軽水炉(1,2号機)と加圧水型軽水炉(3,4号機)の形式が異なる2種類の原子炉を運用している発電所でもある。
2015/4/27に1号機は45年を経過し廃炉が決定している。その日本最古の軽水炉として知られる敦賀1号炉は大阪万博の開会式の日に営業運転を開始し、万博会場へ初送電したことでも知られる。
1、2号機の敷地内には破砕帯が160本以上存在する。また、活断層として浦底断層が通っている。国の原子力発電所の耐震設計指針によると、活断層の真上に重要設備の設置は認められていない。
2013年5月15日、原子力規制委員会の専門家調査団は2号機直下にある断層(破砕帯)は「活断層である」と断定する評価報告書を正式にまとめた。2号機は廃炉に向かう可能性が濃厚です。

敦賀原発の過去の主なトラブル
1981年4月 福井県の定期モニタリング調査で、海藻から異常に高い放射能が検出された。漏れた放射性物質はコバルト60であり、平常時の約10倍の量が検出された。さらに一般排水路の出口に積もった土砂からも高濃度のコバルト60とマンガン54が検出された。この漏出が判明する前月に大量の放射性廃液がタンクからあふれるという事故が起きていたが敦賀発電所はその事実を隠蔽していたことも同時に明らかとなった。
2010年7月21日、日本原子力発電は、敦賀1号機で、再循環ポンプなどの溶接部分について点検が一度も行われていなかったことが明らかになった。
2011年1月24日、経済産業省の原子力安全・保安院は、敦賀1号機で、複数ある緊急炉心冷却システムの1つが機能しない状態で約1か月間運転していたとして、日本原子力発電を厳重注意した。
2011年5月2日、敦賀2号機の1次冷却水で放射能濃度上昇。
2011年5月9日、敦賀2号機 放射性ガス漏洩。
2011年6月3日、日本原子力発電は、敦賀2号機で5月8日に排気筒から微量の放射性ガスが漏れた問題で、放射性ガスが通る配管に33カ所の微小な穴が開いていたこと、及び、1987年の運転開始以来、この配管の点検をしていなかったことを明らかにした。


なお、同敷地内にある「ふげん」は2008年から廃炉作業に入っている。その使用済み燃料466体は貯蔵プールに保管した状態が続いている。

↑ 2013年5月15日、原子力規制委員会の専門家調査団は2号機直下にある断層(破砕帯)は「活断層である」と断定する評価報告書を正式にまとめた。
↓ その活断層については30年前には知っていたということが発覚。国も原電も意図的に見過ごした疑い。

報告書にある断層地図。2号機の真下を活断層が通っている。

PR館の中の放射線モニター。数値は0.190μSv/h。
年間1ミリシーベルトは毎時0.114マイクロシーベルトですから、ここにずっと居ると年間1ミリシーベルトは超えます。

10:30敦賀原発を出て一本道を戻り岬をトンネルで越えてサーファーがいっぱい居る美浜海岸へ出た。すぐ先には美浜原発が見える。0.046μSv/h。浜から見える美浜原発をバックに写真撮影。~11:00
11:10美浜原子力PRセンター着(614Km)。目の前にある検問の先にある橋を渡れば美浜原発だ。PRセンターに入ると集会でお会いした遼平さん一行3名に出会う。遼平さんは秩父に来て放射線についてのお話をして下さった方だ。お一人は集会での対談に出演されていた伴さん。もう1人はメディアの方。伴さんの詳しいご説明も伺いながら館内の展示物を見学でき有益でした。一行とお別れしてもんじゅへと向かう。11:00。


美浜原発。手前から1号機、2号機、3号機

写真は3号機。対岸の釣り堀からすぐ目の前。

半島からは陸続きであるが右の橋を関係者は通って行く。
その橋の入り口の検問所横にPR館はある。

PR館の中にある測定器と持参のホリバと比較。ほぼ合っている。
原発の周辺へ行くと平均0.1μSv/h以上はある。
美浜原発の過去の主なトラブル
1973年3月 美浜1号機において第三領域の核燃料棒が折損する事故が発生した。しかしこの事故は当初外部には明らかにされず、関西電力は秘密裏に核燃料集合体を交換しただけであった。
内部告発では、この事故は核燃料棒が溶融したものと指摘していた。原子力委員会が認めたのは1976年12月7日であり、事故が発生してから4年後であった。
1991年2月9日 2号機の蒸気発生器の伝熱管1本が破断し、原子炉が自動停止、緊急炉心冷却装置 が作動する事故が発生した。この事故により微量の放射性物質が外部に漏れた。美浜沖の海水からトリチウムが、2月10日に470Bq/L、2月18日にも490Bq/L検出された。
2003年5月17日 2号機の高圧給水加熱器の伝熱管に2か所の穴が開いた。放射性物質の外部への漏れはない。
2004年8月9日 3号機二次冷却系の復水系配管が通常運転中に破裂する事故が発生した。
問題の配管室内には11名の作業員がいた。事故直後に死亡した4名の死因はほぼ即死に近い状態。また、全身やけどを負っていた作業員1名が死亡し最終的には死亡5名・重軽傷6名となった。

PR館の2階から外を測定。目の前が原発。0.107μSv/h。

美浜原発を出て小さな峠を越えてまもなくもんじゅのある白木漁村に着く。近い距離だ。

もんじゅが目の前の白木浜。日本海の荒波を受け岸辺には白い波柱が立つ。釣り人も居る桟橋の先まで行き撮影。さらに散歩する人の姿もある港の砂浜からも撮影。大変身近な所に最も危険な原発があることに驚きを禁じ得ない。

白木の浜から もんじゅが目の前

 危険なプルトニウム原料
 危険なナトリウム冷却
 配管の肉厚はどこよりも薄く地震に弱い構造
 金食い虫、1日6000万円の維持経費。
 延期延期で30年。不可能な核燃リサイクル
もんじゅは1日6000万も維持費かけ、
既に建造などに1兆2000億円も税金を捨てている。
一般質問では2兆円とも答弁されている。
12月8日は20年前に「もんじゅ」がナトリウム事故を起こした日です。
その後も事故や事故隠しや一万件以上の点検漏れなどで停止してます。
しかし冷やしつずけ管理するために
電気を使い1日6000万も維持費をかけつずけています。
しかし政府も文科省もプルトニウムと縁を切りたくない。らしい・・・

もんじゅの白木浜を出て一路小浜・高浜方面へ向かう。できたばかりの高速道路を目指し若狭美浜ICに入る。小浜西ICを出て大島半島へ。小さな浜に漁村が寄り添う風景がいくつか過ぎる。警備のパトカーだろうか機動隊の車と共に何台かすれ違う。テロを思えば原発前とか原発への一本道などはもっと手厚くしなくてはいけないのではと思う。安倍首相はよりによってイスラエルの地でイスラム国(IS)に対し戦線布告の様な宣言をしたので心配も大きくなった。
大飯原発は初めからトンネルの前まで行ければ良いと思っていたが、その手前のPR館まで含めて進入禁止になっていた。

大飯原発は正面のトンネルの向こう。
かつてはこの右手にPR館があったが公開廃止となり、手前で通行止め。
2012年7月の再稼働の時はトンネル前でのデモの映像が目に焼き付いている。

大飯原発前を出発し高浜町を目指す。
高浜原発で驚いたのは門の前を過ぎてすぐにある橋の下には取水施設が見えることだ。
浜に降りると湾に漁村が取り巻いている。原発から対岸の場所からも1Kmあるだろうか。目の前だ。
写真撮影を終えて同じ道を戻るときに原発の目の前に展望休憩所があったので駐車して原発を撮影し終えたところにパトカーが止まった。
職務質問でした。有難く逆にこちらから、お話しさせていただいた。
「警察さんももっと増やさないとテロ防げませんよね。頼みますよ。通行する人全て止めて職質したほうがいいですよ。こんな至近距離で近づけるんですからねぇ。
だけど北朝鮮にも近いし、かんたんなロケット弾一発来たらこのあたり一面が生活できない場所になりますね。
とにかくよろしくお願いしますと頼んでおいた。一人は女性の警察官でしたが大きくうなずいてくれた。
気をつけてお帰り下さいと言って下さった。


漁村の目の前に見える。
ここは道路上から冷却用給排水施設も間近で見える。
取水施設が橋から見えた。