2025/9/12-19
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レギスタン広場の ライトアップ |
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ウズベキスタンは日本から中国の西へ六千キロメートル。航空便は週に一度の一往復のみ。最初の失敗は預け荷物のスーツケース。二人で一つにすればよかったのに空っぽに近いスーツケースを一つ預けるのに約2万円もかかることになってしまった。ローカルな航空会社は手堅く課金するのだ。円で現金でと突然請求され、手持ちの現金が一気に無くなってしまった。
9時間の空の旅で見える下界はほとんどが砂漠。いかに日本は緑が豊かだと痛感する。国際空港タシュケントについたのは現地午後四時。空港を出るところでタシュケント駅までのタクシーを施設内の窓口でお願いした。どうも高いなと思ったが、やはりその窓口で十倍ボラれてしまったようだ。何しろ会計で米ドルとウズベキSOM(スム)の二本立てで要求され桁違いな数字に慣れるまでが大変だ。裕子と「気をつけよう」と確認。
ツアーでは無い旅は大変だ。駅で明日と数日後に乗る特急電車を予約する窓口に向かった。駅舎とはかなり離れた建物に予約施設があるので、右往左往。窓口では順番は守らず手を出した方が先だ。せっかく並んでもキャンセル窓口だと言われがっかり。表示がウズベキ語とロシア語と中国語だけなので大変。聴いても英語を解さない人がほとんど。
ホテルへは地下鉄に乗って行くのだが、その入り口も見つからず、またしても右往左往。人に尋ねてやっと三人目に「ついてきなさい」とのジェスチャーで向かう。地下に入り改札があり、彼は何かカードでピッピとする。なんと私たちの乗車料金も払ってくれて行きなさいと言ってくれた。いい人もいる!列車の中へ入ると年寄りと見られたか席は譲ってくれた。私の前に一人の青年が来て「日本人ですか。日本語を話してもいいですか」と、日本好きの方だった。いつか日本に行きたいと言っていた。ウズベキスタンは親日なのだ。
ウズベキスタンの地下鉄はもとソビエト連邦の時、軍事施設として、また戦争時の地下壕としても使えるようにできていてとても深い。長いエスカレーターでは反対側の人たちが私たちを珍しそうに眺める。イスラム圏でもあるので女性はスカーフで髪の毛を隠すような姿の人が多く、男子はヒゲをたくわえている。エスカレーターの上下には係官が監視していてちょっと緊張する。6駅目のチョルスー駅を出てホテルを探すが暗い上に地図アプリの表示も曖昧。人に尋ねて無事にたどり着いたホテルは中庭のあるイスラム装飾でおしゃれな感じ。ここではカードが使えず貴重なドルで前払い。ネット環境は悪い。
9月13日 最初の朝は穏やかに明けた。あさ散歩が好きな私たちは朝食前の1時間を地域の観察に出歩いた。地下鉄駅の入り口は市で大賑わいだった。野菜や香草、スパイスなどや果物もザクロやイチジク、ブドウなど彩りも豊富だ。ホテルではおいしい朝食バイキングを食べた。
地下鉄でサマルカンドの駅まで行く。駅の入り口ではテロ対策なのか3人の係官が荷物のチェック。8時40分発の特急の乗り場を探す。チケットはすべてウズベキスタン語で何号車かもわからない。乗り場のプラットホームからはすごく高い位置に列車の入り口があり、手助けしてもらわないと上れないほどだ。車内ではチャイ(茶)のサービスと軽食の移動販売もある。ニンジンがいっぱい挟んであるチキンサンドを食べた。窓の外は砂漠状態の土色の世界の連続だった。
お昼近くサマルカンドの駅に着く。多くのタクシー運ちゃんの呼び込みをはねのけてトラム乗り場へ向かう。トラムは広くて眺めもよく快適だ。乗ってきた子供が商売の買い付け品を床にばらまいてしまった。袋を3つあげて入れさせてあげた。乗客はにっこり。言葉はわからなくてもどこかで通じる。トラムの終点で女学生達にバスに乗れとすすめられた。結局遠回りで行くことになった。何とか目的のレギスタンス公園入り口に到着し、歩いて5分のホテルにたどり着けた。この国の様式で門があって中庭に通じて部屋がある。母と息子の経営する小さなホテルだ。ツインベッドだが部屋は小さく冷蔵庫も無い。3泊4日で1万3千円の格安だ。
早速昼食をとりに近所のレストランに行く。酸味と辛味のあるラグマン(牛煮込みうどん風)とダンプリング(水餃子風)を食べた。実においしかった。7万7千スム(千円)
世界遺産のイスラム建築ウズベク・マサドラ、ティラカサ・マサドラを見に行く。マサドラとは神学校のこと。一五世紀、一七世紀に建てられている。入り口で日本びいきの家族と出会い話が盛り上がった。入場料はひとり10万スム(千三百円)。広場の三方に大きなタマネギを載せ、緻密なタイルのモザイクが美しい建築物がある。しかし驚いたのはその重要な建築物の多くの小部屋に土産屋がびっしりと店を構えていて商売していたのだ。手招きする店主。まだ旅行もスタートしたばかりなので値段を伺うだけにして世界遺産の建築を堪能した。
更に2km歩いて崩れかけたビービーハーヌム・モスクも見学。モザイクはすばらしい。中国の観光客も多いし、欧州や日本からのツアーの一団もいた。中国人で自転車で来た旅人が人に囲まれていた。オオカミの敷物にお土産を売っている人もいる。
すぐ近くのジョブバザールへ行くと山積みのイチジクやザクロ、野菜や、お菓子まで沢山の店で並んでいる。ザクロジュースをいただく。独特の甘さでおいしい。
歩いて帰るときにATMがあったので現金のスムを引き下ろした。カードが使えてほっとする。小さな店に入ってヨーグルトやブドウを買った。土曜日で学校がお休みなのか子供がレジ打ちして手伝っていた。
朝は1時半に目が覚めた。日本では5時半だ。時差がなじめず苦労する。裕子も3時に洗濯を始めた。6時には朝散歩に出てみた。ちょっと肌寒い。グーグルーマップを頼りに細かい路地を歩く。家々の扉は細かな彫刻で幾何学模様が付いていて素敵だ。太い配管が宙を飛んで家々につながっている。どうもガス管のようだ。少しガスのにおいもしたが大丈夫だろうか。多くの電信柱は下が腐ったのか切られてコンクリートの柱に括りつけられていた。その電柱は時にはひさしに穴を開けて通されている。電柱が大事にされてはいるのだろうが資材も乏しいようだ。
歩いて30分でアミールティムール廟に着く。入ろうとすると係の人が二人で15万スムだという。5人ほどのグループも一緒に敷地に入る。中は見事、合計3kgの金箔を使ったピカピカな幾何学模様の装飾だ。
朝散歩から帰るとホテルの朝食。卵焼きとクレープ、ヨーグルト。多量のコンディエンスミルクとパンとバター。コーヒーで締めてお腹いっぱい。
今日の観光は廟がいっぱい並んでいるシャーヒズィンダ廟群。記念撮影する観光客も多い。廟の中ではコーランを唱えている人がいて声が快く神聖な雰囲気だった。最後まで聞いてから廟を出た。昼は中華を食べた。未だに時差がとれないので午後は昼寝。
さて、夜はレギスタン広場へ行きマサドラの綺麗なライトアップを見学。広場では許可の無い子供の売り子がいて警備員が取り締まろうと鬼ごっこをしているのが何とも愉快だった。子供も生活に必死なのだろう。
一つ買ってあった西洋なしを早朝に食べてみた。これが皮まで食べられて舌にざらつきも無く実にうまい。朝の散歩もして朝食も済ませ、いざ出発と言うとき裕子がビザのカードが無いという。昨日カードで現金が下ろせたので安心したばかりだったのに。手続きしようとしたがネットではパスワードが合わない。仕方なく日本にいる娘にラインし代理で使用停止にしてもらった。
ホテルのマダムにタクシーを遺跡まで手配してもらう。タクシーを呼ぶのに使うヤンデックスゴーというアプリで頼むと一番安いタクシーが呼べて道で拾うより5分の1ぐらいの料金で行ける。実に便利なアプリだ。タクシーの運ちゃんは全く英語ができないので無言で目的地へ。チップは受け取らなかった。アプリ的には評価が高いらしい。笑顔でバーイ!
ここは13世紀にチンギスハーンが襲来するまでは美しい街があったとされるアフラシャブの丘。18mの長ーい棺のあるダニエル廟を見学し、歩いてアフラシャブ博物館へ。フレスコ画や焼き物など面白い物がいっぱいあった。荒廃した果てしない丘も少し歩いたが風だけが吹き荒れていた。
遠いバス停まで歩くとレストランを見つけた。ちょうど探していたピラフの原型プロフのお店だ。竈の上の巨大な鍋で羊や牛肉を骨付きでオイル蒸した中へスパイスや野菜が混ぜられてまた蒸す。太っちょのオヤジが作り娘が配膳する。かなり美味。ナンやサラダ、チャイもセットで3万5千スム(四百六十円)
99番バスに乗りビザタッチで降りる。バザール前で降りたが今日は定休日だった。仕方なく地図に無い路をひたすら歩きレギスタン広場へ。ここでピースジャンプをする。裕子にいつも写真を撮ってもらうがうまく行かないと何回も飛ぶので、へたばることになる。