私と武甲山・昔と今の武甲山

懐かしの武甲山

私と武甲山との出会いは家族で行ったのが始めてであり、本当の頂上への登山は最初で最後だった。1970年だったと思う。
その時の写真がこれです。私が小学校5年頃でしょうか・・・


武甲山山頂の神社にて

当時は川越の家を早朝に出て、大宮、熊谷、秩父鉄道できて
羊山の処から登ったのですが
朝飯はふもとの清流のある川原で飯ごう炊さんしました。
その炊きたてのご飯を昼食用に持って登頂を目指したのですが
途中で霧の中から「発破しますので避難して下さい」には
どちらにも逃げようが無くてとても心配した覚えがあります。
また、熱々の飯ごうを背負った父はまるでかちかち山のタヌキだと大笑いしたのを覚えています。
登山道にはヤマユリが沢山咲いていて香りも一面に漂っていた。
母はそのヤマユリを何本か摘みうちに持ち帰りました。
帰りは横瀬側に出たのですが
道路に出てからが距離が長く、弟は歩けないとだだをこねるほど、まいった覚えがあります。
家では山百合の何とも良い香りを長く楽しんだものでした。


その時買ったバッチ 武甲山1336m


田舎暮らし 目の前(目の先)に武甲山がありました。


1986年 小鹿野町倉尾 長久保の家からの眺望 雲海の向こうに武甲山


同じく1986年 我が家からの眺めのなんとすばらしいことか・・・


秋の遠足 6年 徳仁親王(2019年5月1日より令和天皇)

10月1日、その日の空は、ぬけるように青かった。雪を頂にかぶった富士山、丹沢山が遠くに見え、秋風がいくどもわたしの耳をかすめていく。
秩父駅近くになると、武甲山が見え始めた。それは、まるで戦国時代の英雄のように思えた。が駅を降りてから見ると、山頂はくだかれ、岩はだがけずりとられたみにくい姿であった。わたしは、神の作られただいじな山を人間がこわしていくのが惜しくてならない。自然が少しずつ破かいされていく。
山々の木も、いずれは枯れていくのではないだろうか、そんな不安をもった。
(東京新聞 昭和47年4月6日掲載)

親王の時代に武甲山を思いやる言葉の入った作文を書いていた。


映り込んだ武甲山

秩父郡小鹿野町に移り住んで20年以上が経ちました。
その間記録したものから物色したら、意図せずに武甲山が映り込んだ写真が見つかりました。


2003年の統一選挙時の秩父市の選挙。2003年4月29日


2003年7月4日 できたばかりの秩父市の伝承館にて


2007年4月27日 壊される前の秩父セメントの中です。
2009年には全くの更地になっています。


武甲山が包み紙になっていました。果たしてどこの物か記憶してません。教えて下さい。m(_#_)m
2007


意識して撮った武甲山


2002年の秩父霊場ご開帳の時


2005年2月26日 薄い雲海が出ていました。


2007年11月16日朝  泉田から遠望


2007年11月7日  真ん中奥が武甲山。両神山から見る。


私の描いた武甲山 2010/3