小鹿野画衆国展・アートフェスティバル

平成3年・4年・5年 3回開催(1991〜1993)

主催:小鹿野画衆国展実行委員会
企画運営:小鹿野画衆国展事務局
後援:小鹿野町・小鹿野町教育委員会・小鹿野町観光協会・西秩父商工会・(株)テレビ埼玉

参加出品者数112名

協賛企業19社

ラビリンス ’91オガノ 間伐材を1,500本利用した迷宮砦+しか天ロックコンサートも実施 渡された風景展常盤屋 おがのディアフレンド展チャリーティー&オークション おがのエジソンズ浮世絵小町  蔵開き・傑作展 大作の展示と埼銀100年史 手と心の森展 書・写真・短歌等盛りだくさんの展示 画衆国展 約50人の作家が集結 画衆茶屋+奈倉版画歳時記 画衆国スタンプラリー 1200個の絵入り行灯 クリックして!
街中がアートにあふれた!

蔵でのコンサート写真 現在は夢鹿蔵として利用されております。

ほんの一部の画像ですが紹介します。

平成3年〜  





 この地域では初めての長手ポスター製作。(2枚1対)
 デザインもかなり力を入れての斬新なもの
 ポスターが欲しいと希望者がでた。
 近隣の町村もまねをしたほど・・・

 行政も本気で芸術やデザインにお金を掛けて欲しい物だ。

  小鹿野春祭りは→

画衆国連邦会議 様々な分野の人達が集まった。
第1回と3回は田島昭泉氏、第2回は寺井一朗氏が大統領(実行委員長)をつとめた。

正月の1月3日全国版の紙面半分を使って紹介

あんどん1000個を目指し
多くのボランティアが参加
描き手に貼り手 毎夜の作業が続いた。

 画衆国展開催後の 夕方の行灯点火式

場所を移しての点火式

夜道に風情を添えた。1150本の行灯
(次の年には1500本に)→TVで紹介

地元埼玉はもちろん、上毛新聞まで取り上げて絶賛してくれた。

間伐材1000本を使ってのラビリンス建設

官・民・企業の毎日の協力で作業が続いた。
(メセナ:企業協力と言う言葉がはやった)

画衆国オープンセレモニーにて
チェーンソーで丸太を切るテープカット

多くの町のトップリーダー達による乾杯の図

ラビリンスは町のアマチュアバンド参加の
ロックフェスティバル「シカテン・ロック」の会場にもなった。

バンドは10グループ以上の参加
ヤングな観客もにぎやかに

地元警察のブラスバンド演奏も

常盤屋3階 作品展示会場
平成4年〜





地元画衆国バンドによる
「お世話になります春祭り」演奏
(赤岩松寿監修)

この年はパオ(竹のドーム)がテーマフォルム
花もたくさん飾った。

粋な小道が演出で出現

愛宕神社も花で演出(華人木村和恵氏演出)

文化センター前も花・花・花

農協展示会場前
おがのエジソンズなるほどザ・アイデア館は⇒こちら

歌舞伎のまち 小鹿野
第2回では初の歌舞伎役者特写も実施
役者をきちんと写真に収めたことがなかったので
特写を実施した。↓当時の小鹿野町広報の1ページ

明治の建築 常盤屋
ここも第1回から展示場になったところ
そして以後数年ここで斬新な作品展示が行われた。
この様な建造物こそ町で所有して欲しい物だ。

町ではこの様な役者をもり立て、本当の主人公にしてゆく事業展開をしてもらいたいものだ。

大統領名刺 
他のメンバーも大統領補佐官、財務長官
広報長官など役職名刺を持った
芸術文化の村祭り2002はこちら→