小鹿野町里山案内人養成講座

2007/1/20(土) 野外実習 四季の道周辺(町内〜腰根)にて  ■TOPへ

朝7時、町立病院駐車場に集合でした。
コンサルタント講師陣は(株)応用生物の:橘さん、岩水さん(鳥類)、早川さん(地形・地質)、土屋さん(動物)。


準備体操もぬかりなく
ちょと寒い曇り日です。(7:05)

国道(商店道路)に出たところで
岩田家古文書、小鹿野陣屋、市のお話。(7:16)
戦国時代から明治期までの御陣屋関係の文書も含めた百点にも及ぶ「吉田家文書」(1970/07/02小鹿野町指定有形文化財)を所蔵する名主「吉田家」が所在しています。とりわけ「吉田家系図」には北条氏から発給されたとされる23点の中世文書が転記され貴重な文献史料として有名です。 小鹿野陣屋
小鹿野を指揮した大きな陣屋があった。屋敷は裁判所も兼ね、お白州があった。名主は田家。今も当地に田家があり子孫が暮らす。付近に散在する古い石積み(何かの石構造物を取り壊したと思われる)は、昔の屋敷の一部であろうか。

常盤屋が成田から勧請した不動堂。(7:22)

常盤屋(加藤家)
明治13年建築の豪商屋敷。
3階には滑車が据えられ、商品を出し入れした。
常盤屋は屋号。明治13(1880)年、生糸や呉服などを扱って財を成した加藤恒吉によって建てられた。1階は住居と店舗、2階と3階は蚕の飼育に使われた。十輪寺正面に位置するため、対面する形で玄関を設けることを避け、脇道に玄関がある。梁、桁、格子などが全て大振りで重厚。

愛宕神社
加藤家の裏に位置する防火の神様。神社の向こうに裏から見た加藤家が覗く。近くの広場にはかつて愛宕座という芝居小屋があり、後に500席くらいの映画館になった。映画館は個人の興行主が支えたのではなく、町内会が株主となって設立した株式会社だったという。

十輪寺には金剛力士(県指定)、芭蕉句碑、鐘つき堂などがある。(7:28)
「 梅が香に のつと日の出る 山路かな 」はせを
カルラ石仏:迦楼羅,二十八部衆の一人、インドの神ガルダ
真言宗智山派常木山十輪寺。
本尊十一面観世音菩薩:慈悲(思いやり、いつくしみ)の心で人々を救済する仏様。
仁王尊(金剛力士):室町時代の力作(県文化財)。阿形像に寛文2年(1662)の修理銘

樹齢200〜300年の松。やどり木。
菩提樹(お釈迦様がその下で悟りを得た)

〜田端稲荷(春日町の小鹿野陣屋を1717年に移した)〜ユズリハの木、セグロセキレイ〜

腰の根。カシラダカ、カワラヒワの鳥の群れ。(7:59)

一本杉峠の一本杉。杉は目通り5.8m、樹高35m。
泥岩と砂岩の地層。アオゲラの声。(8:22)

山道の頂の所に
タヌキのため糞

複数のタヌキが
ここで糞をしている

「糞によって
食物の情報が
タヌキ同志で
交わされている」
との事。(8:51)

ここの手前には
テンの糞も確認。

土屋さん「この様なところはコウモリの通り道。
1匹のコウモリは1日に4〜500匹の蚊を食べている」。
超音波を検知する機械も披露。
鹿笛も披露して下さった。(9:06)
リスの松ぼっくりの食痕(9:35)
見晴らしの利くような切りどうしでの周りの木や草は地主さんに相談し刈らせていただけないかとのお話。
「ボランティアで刈り込みやりましょうよ!」と皆さん意欲的でした。

展望もよい陽の当たる草地。(9:49)
コガラ、エナガなどが近くで観察できた。

キツツキによって穴の開けられた展望所。

展望所から小鹿野を一望。 ↑ →
2羽のトビが輪を描いていた。

手前の住宅地は河岸段丘、
その奥の小山は第3紀層、
一番奥の険しい山は中生層。

険しい両神山(←)はチャート。
武甲山、二子山は石灰岩。

展望所から両神山を見る。(10:02)
かつては八日見山と言われたゆえんなどを伺う。

「四季の道小鹿野」の入り口。(10:40)

小鹿神社(11:01)
寺社林に大きな杉があればムササビは生きていける。
民家の周りの雑草の生い茂る畑地にも「花を植えたいねぇ」とご意見。
案内人は単に案内するだけでなく、美しい里づくりへと目が開いて行くすばらしい事業であると感じました。
解散は11:40ごろ。 万歩計測は約1万歩。
鳥の姿や声などではセグロセキレイ、カシラダカ、カワラヒワ、ホオジロ、メジロ、カヤクグリ、アオゲラ、コガラ、エナガ、
トビ、モズ、オナガ、スズメ、カラス、キジバトなど。

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