戦地からの手紙は検閲が入った
戦地での兵隊は「苦しい」「つらい」などの心情や「戦地の地理」がわかる文面は検閲によって制限されたので、当たり障りのない文面を書いたのです。資料はビルマから濱田忠治さんが書き送ったハガキです。
お陰様にて長途無事ビルマ高原に到り明月を拝し 夕の涼みの一ときも祖国の友如何にと拝察申します
椰子の木蔭を素通りして今は高原の雜木とシャボテンとの日蔭を身心の医やしどころにしております
水質悪ひ南国の一陽にてたえております
一体明日はいかがと語る言葉もたのしかり様です。
申し上げたい事も沢山ありますが状況の許さざるを遺憾と感じます
では御元気で 又御便りします さようなら
以上が資料ハガキの文面ですが「水質」のこと「明日はいかがか」「状況の許さざるを遺憾」の文言がぎりぎりの表現だったと推察されます。
大本営は国内のへの情報は真実を伝えず状況がよいことだけを伝えていました。検閲された兵隊の手紙が届くのも最初の頃だけで終戦近くでは何の連絡も届かない状況になったのです。
検閲印のあるハガキの表書き |
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お陰様にて長途無事ビルマ高原に到り明月を拝し 夕の涼みの一ときも祖国の友如何にと拝察申します 椰子の木蔭を素通りして今は高原の雜木とシャボテンとの日蔭を身心の医やしどころにしております 水質悪ひ南国の一陽にてたえております 一体明日はいかがと語る言葉もたのしかり様です。 申し上げたい事も沢山ありますが状況の許さざるを遺憾と感じます では御元気で 又御便りします さようなら |