【戦死者迎葬依頼】
役場からの文書と封筒 昭和十五年のもの
戦没者の慰霊のために不徹和尚は町内に呼ばれて法事を取り仕切ったようです。初期は盛大に行われていたが戦況厳しくなった頃より赤平橋たもとへの出迎えるだけの迎葬となった事が文面で解りました。あまりに葬儀ばかりを実施すると多くの戦没者の存在が町民に大きな不安を与えるので目立たないようにしたのでしょう。さらにご覧の封筒など役場から発送される再利用の紙類からも資源の乏しい厳しい状況を観ることができる。両面印刷されているものまで再利用されています。