名倉医院(名倉堂)訪問記

2006/2/24

名倉医院(名倉堂)訪問記
 去る、2月24日(金)に今井良一特別展実行委員長、高橋良雄奈倉区長、田島一彦特別展顧問他全7名にて足立区は千住にある名倉医院へ伺いました。ここは足立区の文化財として保存されている所です。ここの管理者である名倉家の名倉静様には自らご案内を頂きました。また当日は名倉コーポレーションの相談役諸沢様、足立区立郷土博物館の山城館長様、同学芸員多田様にも来て頂きご説明頂く事ができました。(写真)この席にて奈倉展の特別展へのご協力をお願いしましたところ、快くご協力頂けるお話を頂けました。紙面を借りてここに深く感謝申し上げます。
 さて、名倉医院の名倉家は桓武天王の後裔、畠山重忠の子孫で北条家の家臣だったようです。武蔵国秩父郡名倉村に館を構えていましたが、永禄13年(1570)武田信玄の秩父侵入により攻め落とされ、岩槻を経て江戸の千住に居を定めたようです。埼玉県内に居住する「名倉」姓の一部は、この流れかもしれません。現在、東京の千住にて名倉病院を開設されておられるのが、その「名倉」の宗家とのことです。初代名倉弥治兵衛直賢(1750〜1828)は、柔剣術・格闘術皆伝にとどまらず、接骨術を極め、明和7年(1770)に、足立区千住に「骨接ぎ」を創めました。日本で始めての整骨院でした。長屋門(写真)の門前の広場には、駕篭や戸板で運ばれてくる患者が日に何百人もひしめき、名医の評判で活況を呈していたとのことです。関東では「名倉」は「ほねつぎ」の代名詞とされております。
 私たち一行は名倉医院の古式豊かな庭園も見学し帰路につきました。
 次回の奈倉展での特別展「奈倉館と名倉堂」には私たちの郷土のルーツを探る貴重な展示ができるものと、今から大変楽しみです。合わせて奈倉展の資料提供や情報提供をこの場をお借りし、読者の皆様にもお願いします。宜しくお願い致します。

名倉様、足立区立郷土博物館の皆様にご説明を伺う。 名倉堂の長屋門
ご説明を伺う一行(右は高橋良雄区長) 長屋門
左より田島一彦、新舟洋司、高橋良衛、田島昭泉、今井良一、田嶋茂 名倉家の昔の住まいと庭園
訪問団の一行、左より田島一彦、新舟洋司、高橋良衛、
  田島昭泉、今井良一、田嶋茂 、写真には写っていませんが当時地区長の高橋良雄 (敬称略)。

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  奈倉館跡の一斉清掃