轍シリーズ

浜田マツノさん物語り

(1)
 私は明治44年5月10日に、大滝の大血川と言うところで生まれ、今年で94才になります。
 私が5才の頃、大変広い範囲の官有林の払い下げがありました。杉を植えるためでありました。あちこちに五十俵の炭窯ができ、二十年という長い期間の仕事でした。またあちこちに麦カラの小屋(飯場)ができました。年数の経た大きい木が多かったので、火薬で割った。だいたい六尺ぐらいの長さにして窯詰めをしていた。その他、材木にしたり、板屋(板の屋根材)にしたり、下駄にしたり、ウルシを取ったり、いろんな職人が集まっていました。冬になると沢山のしょう油や味噌を背負いあげて、貯えておいたようです。
 炭を売るために、お店が沢山できました。そこへ問屋さんがあちこちから買いに来て、ずいぶん活気があったものでした。
 5才の頃、板を引くおじさんが、よく可愛がってくれ、よく抱いて、火に当たらしてくれました。悔しい思い出として、よく憶えているのは、太陽寺のお祭りの時、50戦という沢山のお金をもらった時のことでした。普通お祭りのこづかいは5銭ぐらいの時でした。あまりにもうれしかったので、障子紙の包みを、何回も何回も開いて見たものでした。その50銭という大金を川に落としてしまいました。お金が渦巻いている川に沈んでいくのが見えて、悔しいやら情けないやらで、今でも、思い出します。

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