奈倉火の見櫓


2001/3/31雪の日写す。妙見様前に立つ。

昭和56年6月16日
早朝
表にあった火の見櫓を
妙見様の前へ移築
(田嶋巌様撮影)
昭和53年4月
表にあったころの火の見櫓

下に理容コマさんの看板が見える。
(田嶋巌様撮影)
第29回奈倉展で資料を展示
火の見櫓の建設当時(昭和30年)頃の写真
(1955年)
昭和30年11月24日建設

 寄付金92,900円
総建設工事費118,800円
基礎のコンクリート用の砂や砂利は
地区の人の手で赤平川から運ばれた。
建設当時の火の見櫓の雄姿
右奥の建物の窓には
「アライ自動車商会」の文字が見える    

建設当時の消防団員→顔と名前が知りたい方はこちらです。
後ろには「ヨウバケ」が見える。
浜田勝己氏の父浜田忠治氏の
昭和28年の年号の入った消防手帳によると

昭和30年8月25日
火の見櫓の件 黒沢鉄工所 親花

9月3日
鉄骨火の見櫓建設(耕地総会)
・・・一般寄附による・・・

10月10日
砂利及砂採集作業

10月12日基礎工事、13,14,15,18,
27、28と作業や話し合いが続いた様です。


第29回奈倉展で資料を展示
半鐘(念仏鐘)も展示された

この念仏鐘には以下の文が刻まれていました。

延享五戌辰天五月吉日
(江戸時代西暦1744〜1747)

秩父奈倉村妙見庵願主宗入
施主當村男女講中小藩内匠作

2001/11/28(金)撤去の日 ホースポールができ
火の見櫓が撤去となりました。
半分にされ解体